「11月は8万2145字入力していたようだ」
一日平均2649字くらいです。
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「12月は1日平均7694歩歩いていたようだ」
「日経新聞文化欄のチベット関連記事」
朝起きて、外に出ると、寒さが厳しくなっているのが分かります。
さて、稲葉香さんについての日経新聞の記事を送っていただきありがとうございます。
さっそく、添付されていた記事を読ませていただきました。
稲葉香さんに影響を与えた河口慧海さんは、リウマチを抱えてのヒマラヤ行、カイラス行だったようで、僕も驚きました。
実は僕の母も関節リウマチで痛みがあるようです。
何かしていれば(読経も良いのかもしれません)痛みを紛らわすことが出来るのかもしれないと思いました。
中島さん、吉澤さんにおかれましても良いお年をお迎えください。
記事は以下のような記事です。
「ビキニ水着と原発」
以上のような回答が返ってきました。アメリカのビキニ環礁での核実験にちなんでフランスのデザイナー、ルイ・レアールが新しい水着を「ビキニ」と名付けたようです。
次にGoogleで、「なぜ、ビキニと言うのか」と検索してみました。すると以下のようなことが書かれていました。
ビキニ (水着) - 水着の一種、ビキニ環礁での実験で用いられた原爆のように「小さくて破壊的」との意味が込められた。 類似の下着にも用いられる。
以上のようにアメリカのビキニ環礁での核実験にちなんでフランスのファッションデザイナーが考案した水着がビキニ水着のようです。
ちなみにアメリカもフランスも第2次世界大戦の戦勝国です。
次にWindows11にインストールされているCopilotで「ビキニ水着と原発について教えてください」と質問してみました。すると以下のような回答が返ってきました。
「ビキニ水着と原発」
以上のような回答が返ってきました。
言ってみれば、第二次世界大戦の戦勝国、アメリカとフランスが、原爆を作り、原発を作り、ビキニ水着を作ったようです。
欧米から見れば、日本などは発展していない国で、遅れている国だと見られていたのだと思います。
原発と原爆が表裏一体のもので、ビキニ水着も原爆のように小さくて破壊的という意味を込められ作られたもののようです。
原発もビキニ水着も欧米のものがより良いものという日本の考えで、欧米に追いつけで日本に取り入れられたものだと僕は思っています。
2011年の福島第一原発事故以来、これだけ多くの議論がされている原発ですが、原発と原爆が表裏一体のもので、女性の肌の露出度が非常に高いビキニ水着もアメリカが原爆の実験、核実験を行ったビキニ環礁が由来で、原爆も原発もビキニ水着も世界的な強者の論理の元で作られたものであることが分かります。
「くつろぎの時間 喫煙室 第21集 の西木正明さんのエッセイ 帰らざる河」
同じ頃、写生に夢中になった。絵描きだった母方の祖父の血をわずかに受け継いだのか、県の席画コンクールで二回金賞を得たから、これは多少モノになった口。ちなみにこの祖父は、森永ミルクキャラメルのエンゼルマークを創作した。秋田県蘭画の異端。
中学上級以降はにわかにアウトドア指向になった。近隣に住む暴れ者で有名だった前科七犯のマタギに可愛がられ、山歩きのイロハをたたき込まれた。それが大学時代の北極圏越冬につなって家業の医者になりそこね、村は無医村となって、近在の人々にただならぬ迷惑をかけた。
その後遺症は社会人になってからも残り、昨今はゴムボートに生活用具一式を積み込んでの川下りに血道をあげている。高校時代にはまった映画鑑賞とアウトドア指向が結びついた結果かも知れない。当時繰り返し見た、ロバート・ミッチャムとマリリン・モンロー主演の映画「帰らざる河」が、道楽人生の後半を決定づけたような気がする。
これらの道楽が実生活になんの恩恵ももたらさない中、なぜか子供時代もっとも苦手だった作文で口に糊している。人生の皮肉ここにきわまり、まさに道楽人生の「帰らざる河」である。
以上のような「帰らざる河」というエッセイが載っていて、おもしろくて腹を抱えて笑いそうになってしまいました。
「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話しした話 その2」
僕が中島さんに
「ドルマ・ラ峠が中島さんにとっての最高標高点ですか?」
「ドルマ・ラ峠が最高標高点」
と仰っていました。
吉澤さんもドルマ・ラ峠が最高標高点だと仰っていたので、先日のインド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合で集まった中島さんも吉澤さんも僕(上原)の3人とも人生における最高標高点はドルマ・ラ峠(5660m)のようです。
僕がチベットのラサで食べた記憶があるモモに関しては、中島さんがチベットに行った際には食べていないと仰っていて、1986年にはモモはラサで食べてないようでしたが、僕らがチベットに行った1988年にはモモを出すようになったのだろうかとも仰っていました。
「上原がインドブラマプトラ川川下りに行ったのはいつだ?」
とも尋ねられたので、
「大学4年の時です」
と答えました。
その他にも、僕らが早稲田大学探検部1年生の時の新歓合宿の際に、当時大学4年生だった中島さんと椎木さんがいらしていたこともお話ししました。
僕が早稲田大学探検部1年生の時の参加した春合宿で中島さん、リーダー、吉澤さん、サブリーダーで南アルプス赤石岳に登る予定だったが、途中で雪渓があり、赤石岳登頂はあきらめたこともお話しし、
中島さんが、
「1年生は山の素人だったから」
と仰り、僕は
「あの合宿が、僕にとっては南アルプスは初めてでした」
と答えました。
すると、中島さんが、
「どのピークに登ったけ?」
と仰っり、僕は
「聖岳に登りました」
と答えました。
中島さんが、
「上原たちの代は部員は何人いたんだ?」
と尋ねたので、僕は
「15人いました」
と答えました。
「上原たちの代は、多彩な人材が揃っているね」
とも中島さんが仰っていたので、
「僕らの代くらいから、部員が増えました。僕らの代は15人で、僕らの下の代は20人くらい部員がいました」
と答えました。
早稲田大学探検部の現役についてのお話も少ししました。
現在の早稲田大学探検部の顧問の先生が元早稲田大学部員の方で初めての生え抜きの顧問の先生だと伺いました。
もう何年か前の現役の1000キロのヒマラヤ隊の話もして、早稲田大学探検部OBの庄司さんと一緒にヒマラヤに行ったことも伺いました。
僕は早稲田大学探検部OBの庄司さんのことは昔、NHKスペシャルの「ザンスカール 氷の回廊」という番組を拝見したことがあり、存じ上げていたので、
中島さんに、
「氷の回廊」
と言いました。
僕のTwitter(現X)が1000キロのヒマラヤ隊のTwitterにフォローされたこともお話ししました。
なにか1000キロのヒマラヤ隊は、Twitterを使ってクラウドファンディングでお金を集めたことも伺いました。
中島さんはSNS X(旧 Twitter)についてはあまり良い印象を持っていないようでした。
現在の早稲田大学探検部が他大の学生も受け入れていることについては、中島さんは反対のようで、中島さんは早稲田大学探検部は早稲田大学純血主義の方が良いと仰っていました。
中島さんはアフリカのナイル川源流の調査をしているというお話もして、早稲田大学探検部OBの小川さんの計画だよねというお話もしました。
僕は現在の早稲田大学探検部については早稲田大学探検部のXとかを見るくらいしか知らないので、何も言えませんでしたが、僕も現在の早稲田大学探検部のXとかを見ていると、何か早稲田大学探検部OBの方の過去の業績をなぞって活動をしているような気がしていたので、
「自分の物語を作るのが早稲田大学探検部ですよね」
というようなことを言いました。
もう僕は統合失調症の精神障害2級の障害者なので、偉そうなことは言えませんが、先日の会合では少し偉そうなことを言ってしまいました。
大学卒業後のお話も少ししました。僕が大学卒業後、テレビ業界に進んだのですが、現場に出ての取材は面白かったのですが、テレビ番組は編集の仕事があり、締め切りがあり、締め切り前は徹夜、徹夜で、大変で、自分でテレビ業界は向いていないと思い、テレビ業界は辞めましたとお話ししました。僕はテレビ業界が本当に向いていなかったので、
「マスコミには行かない方がいいですよ」
とも言いました。
高野秀行さんのお話もしました。高野さんの著作、「イラク水滸伝」を吉澤さんが会合の前に高田馬場の書店で見てきたそうで、「イラク水滸伝」のお話をしました。
吉澤さんが、
「高野さんが「イラク水滸伝」で植村直己冒険賞を受賞したようですね、本を見ましたが、相棒の山田高司さんのイラストもプロの作品だったよ」と仰っていました。
僕はその話を聞いて、
「ティグリス・ユーフラテス川ですね。山田さんは東京農業大学探検部出身の方ですね。実はインドブラマプトラ川の話も東京農業大学探検部に最初に話がいきました。山田さんは四万十川にいらしていたと思います」
と言いました。
すると中島さんがその話を聞いて、
「農大の探検部は長江全流をやろうとしていた。農大探検部はすごかった」
と仰っていました。
高野さんが植村直己冒険賞を受賞した「イラク水滸伝」についてこのようなお話をしました。
帰り際に、
「上原は集まるとしたらどこがいい?」
とも聞かれたので、
「早稲田か高田馬場がいいです」
と答えました。
早稲田大学のホームグラウンドとなるような早稲田か高田馬場なら、早稲田大学探検部の話も気兼ねなく出来ると思ったので、「早稲田か高田馬場がいいです」と答えました。
「病跡学について教えてください。心の病気(精神障害)と文化作品には関係があるのですか?」
-
夏目漱石や芥川龍之介、大江健三郎などの作家は、精神障害者に共感的な作品を書いた直後に病跡学的な作品を発表しています。このことから、病跡学的な認識は、精神障害者に対する寛容で共感的な態度と密接に関係している可能性があります¹。
-
病跡学は、病気を持った人々の成長や寛容にも焦点を当てています。当事者の側の寛容や成長(PPG;
postpsychotic growth)も重要な視点です¹。
. 次に「夏目漱石は統合失調症だったのですか?」と質問してみました。すると以下のような回答が返ってきました。
はい、それぞれの作家には東京大学文学部との関連があります。
夏目漱石は東京大学英文科の学生だった頃に、芥川龍之介に励ましの手紙を送っています。彼は芥川を「先生」と尊敬し、その後も交流を続けました。
芥川龍之介は、東京大学文学部に在籍していました。彼は漱石との関係を通じて文学の道を歩み、後に自身の作品で名声を得ました。
大江健三郎は、東京大学文学部を卒業し、作家として活躍しています。彼は1994年にノーベル文学賞を受賞し、その作品は国内外で高く評価されています。
これらの作家は、東京大学文学部とのつながりを持ち、文学の世界で重要な役割を果たしています。
以上のようなことをCopilotで調べました。
実は僕は早稲田大学法学部出身ですが、東京大学文学部出身の作家の方の文学作品も読んでいたことがあり、夏目漱石も芥川龍之介も大江健三郎も読んでいます。
このブログでは日本の文学作家のことしか調べられませんでしたが、画家のゴッホも精神病だったようですし、音楽家のシューマンも精神病だったようです。
実は僕が東京大学から逃げるように、江戸川公園を通って、関口芭蕉庵に行ったのは、明治以降の文学作品が近代文学になり、海外(特に西洋、ヨーロッパ)の文学作品の影響をものすごく受けて、精神病と診断されている作家の方も多くいらっしゃることから、江戸時代に実際に東北を歩いて書かれた「奥の細道」の作者である松尾芭蕉の住んでいた関口芭蕉庵に行きました。
今回は病跡学についての本を読んだりする時間も無くて、Copilotで調べただけの簡潔なブログになってしまいますが、ブログの自己紹介にも載せている、心の病気(精神障害)と文化(文化とは文学、音楽、絵画、映画、写真など)というテーマで簡単にブログを書いてみました。
以上、「病跡学について教えてください。心の病気(精神障害)と文化作品には関係があるのですか?」
ブログに載せます。
「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合で拝見した日記」
吉澤さん
先日は本当にありがとうございました。
僕も本当に楽しい時間が過ごせました。
まるで早稲田大学探検部の部室にいるような気分になりました。
吉澤さんのチベットカイラス行の際の日記ですが、
「日本の探検家たち」(未知への挑戦) 西堀栄三郎記念 探検の殿堂 NHK出版
という本に、梅棹忠夫さんの書かれた探検についての文章に以下のようなことが書かれています。
「49人の探検を選ぶにあたって」梅棹忠夫
「探検家は探検した地域について報告をおこなう義務がある。いくら未知の地域にわけいったとしても、報告がなければ、なにをしたのかを知るすべがない。ただし、ここにいう報告とは、かならずしも報告書という体裁をとったものでなくともよい。日記、写真、地図、紀行文など、どのようなかたちでもよいわけであるが、知的に考察されたもので、人類の知識の蓄積にくわえられるべき質のたかさをもつものでなければならない」
以上のようなことが書かれています。
吉澤さんはあれだけ、手帳にびっしりときちんとした字で日記を書かれていて、梅棹忠夫さんのおっしゃる探検の報告になるのではないかと僕は思いました。
実は僕がチベットに行った際には、僕はほとんどと言って良いほど、記録が出来ませんでした。
本来なら報告書作成のために、探検する現場に自分で赴き、記録を書かなければいけなかったのですが、僕はそれが出来ませんでした。
僕は吉澤さんの当時の手帳は探検の報告になっているような気がしたので、日記に興味がありますとメールに書きました。
来年、探検部の同世代で会うことがありましたら、僕も出来る限り参加させていただきたいと思っています。
なんとか都合をつけて参加させていただきたいと思っています
どうぞよろしくお願いいたします
上原 和明
上原さん
一昨日のメールありがとうございます。梅棹忠夫さんの言う探検の報告にあたるのではないかと貴兄に言っていただき、何とも面映ゆい思いがして恐縮してしまいました。10代の学生が素直かつ率直に記録はしていますが、知的な考察とはかけ離れていて、お恥ずかしい限りです。
あの部室も時代もよかったですし、モモも美味しかったですし、中島さんも当時から変わっていませんでしたね(小生も周りからよくそう言われます)。探検部出身者は持ち前の好奇心によるものか、気持ちが若いのだろうと思います。
このあいだのOB会がきっかけとなって、来年また僕らの世代で集まると思いますので、その際はお声がけします。明日あたりから本来のこの季節らしい寒さになるようですので、お互いに気を付けましょう。では、また。
吉澤さん
吉澤さんのチベットカイラス行の日記が探検の報告になるかについては、僕は探検の報告になると思います。
知的に考察されているかは、僕は日記を読んでいないので何とも言えませんが、
吉澤さんの書かれる文章は知的に考察された文章だと僕は思います。
僕の体調を慮っていただきありがとうございます。
これから寒さも厳しくなるかもしれません。
吉澤さんもお体に気をつけてお過ごしください。
来年の同世代の集まりの際にもお声かけいただければ、
なんとか参加させていただきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
上原 和明
以上のようなメールのやり取りをしました。
早稲田大学探検部について回る問題に探検をして、報告を残すというものがあります。僕は探検をして記録をすることが報告書の基本だと思っていますが、日記も報告になると思っています。
僕はチベットに行った際にはポジフフィルムで写真を撮って記録(報告 スライド)を残したつもりでしたが、スライドはどこかに紛失してしまったようです。残念に思っています。
僕は早稲田大学探検部時代に文章による記録はほとんど書けなかったので、その後も活字メディァには進まずに、映像関係のメディアに大学卒業後進みました。
早稲田大学探検部の現役時代に、探検をして、文章として記録を出来るかどうかは大学卒業後の人生でも大きな岐路になるような気がしています。
以上、「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合で拝見した日記」
ブログに載せます。
「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合でお話ししたカイラスについての話」
「卍」は、古代インドで用いられたサンスクリット語(梵語)に由来し、幸福を意味します。ヒンドゥー教や仏教では吉祥の印として用いられ、インドではビシュヌ神(ヒンドゥー教三神の一)の胸にある旋毛とされ、瑞兆の相といわれています。
カイラス山を中心にして、四方に四つの河が、外向きに流れている。カイラス山の辺りが源流となっているのだ。四つの河とは、それぞれ、ブラマプトラ、サトレジ、ガンジス(ガンガー)、インダスである。全てはアジアを代表する大河である。卍は地図がそのまま文字になった好例、しかも、象形文字としてもかなり古い。
という記述が、
https://shambhalacafe.blogspot.com/2006/12/blog-post_03.html
というブログに載っていました。
カイラスから、四つの河(ブラマプトラ、サトレジ、ガンジス(ガンガー)、インダス)、が外向きに四方に流れていることを表すのが卍(まんじ)のようです。
「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合後のメールのやり取り」
中島さんと吉澤さんのカイラス行のお話も伺えて、
カイラスでのお写真も見せていただきありがとうございました。
中島さんも吉澤さんもドルマ峠が最高標高点と伺い、私と同じだと思い親近感が湧きました。
私も懐かしい記憶が蘇りました。
拙い後輩で申し訳ありませんが、今後も何卒よろしくお願いいたします。
本日はありがとうございました。
上原君の変わらぬお姿とチベット話で盛り上がれ
とてもハッピーな時を過ごせました。
それにしても2時間少々あっという間まだ話し足りない気がしています。
近々集まる機会があると思うので話の続きをその時にできればと期待しています。
中島さん、近々集まる機会があるのでしたら、是非、お声かけください。
何かお力になれることがありましたら協力させていただきます。
チベット話の続きにも参加させていただきたいです。
吉澤さんの当時の手帳にも興味があります。
「インド・ネパール・チベット料理屋さんでの会合」
僕も持参した、カイラスの写真集、1988年夏チベット探査計画書、報告書、当時の学生手帳などを先輩方にお見せしました。
「11月は9万4902字入力していたようだ」
「11月は1日平均8761歩歩いていたようだ」
これから散歩をするには良い季節になるので、散歩の歩数も増えると思いますが、無理に多くの歩数を稼ごうと散歩をするつもりはありません。1日8千歩程度の散歩で十分だと内科の先生も仰っていたし、気楽な気持ちで気分転換のつもりで散歩をしようと思っています。