2024年3月28日木曜日

「浪人時代に小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生からいただいた絵葉書」

 「浪人時代に小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生からいただいた絵葉書」

  先日、部屋の掃除をしていたら、僕の浪人時代に小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生からいただいた絵葉書が見つかりました。

   絵葉書の文面は以下のようなものでした。

  東京都中央区人形町227 東京新聞営業所 上原和明様

  前略

  元気で頑張っている事と思います。

 上原君のことだから日々、全力で努力致している事でしょう。

 今、猪苗代でバスケの合宿中です。

 現役の選手時代を想い出すことでしょう。

 体に気を付けて目的に向かって頑張って下さい。

  小石川高校バスケットボール部顧問  高橋清士

   


  以上のような文面の絵葉書を、僕が大学受験に失敗して、中央区人形町の東京新聞専売所で新聞配達をしながら受験勉強をしていた時に小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生からいただきました。

  小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生も早稲田大学出身の先生でした。

  浪人時代は、本当に苦しい時代で、新聞配達をしながら受験勉強をして、新聞配達をしながら、全力を尽くして受験勉強をしていました。

  その甲斐もあり、僕の目的であった早稲田大学に進むことが実現して、早稲田大学法学部に合格しました。

  新聞配達をしているときは、高校時代のバスケットボール部の練習を想い出しながら、朝刊の配達は朝練、夕刊の配達は午後練のような気持ちで、新聞配達をしていました。

  本当に浪人時代は全力で努力して受験勉強をしていました。

  今から思い返しても、自分でもよく頑張って勉強をしていたと思います。

  この絵葉書を読み返して、僕も浪人時代を想い出して何か全力で取り組めるようなことを探そうと思いました。

  先日、 先日、部屋の掃除をしていたら、僕の浪人時代に小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生からいただいた絵葉書が見つかったので急に浪人時代が懐かしくしなったので絵葉書の文面をブログに載せます。

  以上、「浪人時代に小石川高校バスケットボール部の顧問の先生だった高橋清士先生からいただいた絵葉書」

  ブログに載せます。


2024年3月27日水曜日

「早稲田大学探検部33期の高橋宏治がチベットから送ってきた絵葉書」

 「早稲田大学探検部33期の高橋宏治がチベットから送ってきた絵葉書」

  先日、部屋の掃除をしていたら、早稲田大学探検部33期で同期だった高橋宏治がチベットに行った際に僕に送ってきた絵葉書が見つかりました。

   絵葉書の文面は以下のようなものでした。

  你好。元気かい。

 こちらは10日間に及ぶ探査活動を終えて、ラサのヤクーに帰還してきたところです。

 チベットは高くて寒くて、僕も着いてから1週間位、頭痛が出たりおさまったりで、夏の上原達の苦労が偲ばれました。

 与論島はどうでしたか。

 今の季節、常夏の地を選ぶとはさすが上原。

 向井さんたちも僕たちも本当にかわいそう。

 では4月にまた会おう。

 さらば。

  221日(1989年) TIBET LHASA

  高橋 斉藤

 


  以上のような文面の絵葉書がチベットに行っていた高橋宏治から送られてきました。

  僕が早稲田大学探検部2年生の時にチベットに行って、カイラスまで行っているので、早稲田大学探検部33期で同期だった高橋宏治も、実際に自分でチベットに行って、僕らのチベット隊の苦労が偲ばれたと書かれています。

  僕もこの絵葉書を読み直して、チベットのカイラスに行った時のことを思い出して、苦しい時でもなんとかあきらめないでこれからの人生の過ごそうと思いました。

  以上、「早稲田大学探検部33期の高橋宏治がチベットから送ってきた絵葉書」

  ブログに載せます。

 

2024年3月26日火曜日

「早大探検部33期の森山憲一がサントメプリンシペ、カングランデ登頂に成功した際に僕に届いた絵葉書」

「早大探検部33期の森山憲一がサントメプリンシペ、カングランデ登頂に成功した際に僕に届いた絵葉書」

  先日、部屋の掃除をしていたら、早稲田大学探検部33期で同期だった森山憲一がアフリカのサントメプリンシペという国にある、未踏の岩峰、カングランデに世界で初めて登頂に成功した際に僕の家に届いた絵葉書が見つかりました。

  絵葉書の文面は以下のようなものでした。

  お元気でしょうか?僕は今、縣(註 早稲田大学探検部36期の僕の3つ下の後輩))とカメルーンのドゥアラというところにいます。洋佑さん(註 高橋洋佑さん 早稲田大学探検部31期の僕の2つ上の先輩)は一足先に帰途についており、この手紙がつくころには日本に帰っていると思います。だからある程度、もう知っていると思うけど、Cao Grande(カングランデ)登頂に成功しました。

 227日に登り始めて、13日目でした。

 結局、20日ほどジャングルの中で寝起きして、毎日、精神的にも体力的にもきつい登攀を続けて久々に強烈な充実感を味わいました

 結果的に計画も最高の形で終えられ、ホッとしたと同時に気も抜けてしまって、僕もようやく一区切りついたかなという気がしています。

 これからしばらくアフリカをフラフラして、4月末頃に帰るつもりです。

 また城やるのでよろしく。

 クラブの4年のみなにもよろしく。中谷にはめんどうをかけてすまないと言っておいて。

 それじゃ。

  314日 森山

 


 以上のような文面の絵葉書が、早稲田大学探検部33期で同期だった森山憲一がアフリカのサントメプリンシペという国にある未踏の岩峰、カングランデに世界で初めて登頂に成功した際に僕の家に届きました。

  世界初登頂で、サントメプリンシペのWikipediaサントメプリンシペにも高橋洋祐、森山憲一、縣直年の名前が出てきます。

  僕らの頃の早稲田大学探検部が懐かしくなったので、早大探検部33期の森山憲一がサントメプリンシペ、カングランデ登頂に成功した際に僕に届いた絵葉書の文面をブログに載せます。

  以上、「早大探検部33期の森山憲一がサントメプリンシペ、カングランデ登頂に成功した際に僕に届いた絵葉書」

  ブログに載せます。

 

2024年3月25日月曜日

「カナダ、イヌビックでバーテンをしている方からいただいた絵葉書」

「カナダ、イヌビックでバーテンをしている方からいただいた絵葉書」

   先日、部屋の掃除をしていたら、僕が早稲田大学探検部3年生の時に、カナダユーコン川川下りをした際に、カナダ、ノースウェストテリトリー(NWT North West Territory)の北極圏にある町、イヌビックという街で出会った日本人の方からいただいた絵葉書が見つかりました。

  絵葉書の文面は以下のようなものでした。

  拝啓

  ここイヌビックは連日-20℃以下。

 最近は-40℃にもなる事もあり、ボイラーから出る水蒸気も地上100m程度より上には昇って行きません。

 今はホテルの酒場でバーテンをしておりますが、ドラッグとアルコールで浸るNWT(註カナダ、ノースウェストテリトリーのこと)のコミュニティ(註 カナダにもともと住んでいた原住民(先住民)のインディアンの居留地のこと、僕らがカナダユーコン川川下りに行った頃は、もともとカナダの地に住んでいたインディアンが、一定の居留地域に住まされていました、インディアンの住む居留地ではうつろな目をした方が多く、ドラッグ(麻薬)とアルコールに浸る生活をしている人もいました)の話を聴くといろいろ考えさせられることも多いです。

 日本人移民夫妻も南へ帰ってしまった為、ついに街で唯一の日本人になってしまいました。

 今度はぜひ北極圏の冬を体験しに来てもらいたいものです。

 それではお元気で

  19891121 有恒 敬具

 


  以上のような文面の絵葉書をいただいていたようです。

  この絵葉書をくださった方は、僕がカナダユーコン川川下りの祭にカナダのノースウェストテリトリー(NWT North West Territory)の北極圏の街、イヌビックという街で出会った日本人の方でした。

  手紙の文面を読み返してみると、ホテルの酒場でバーテンをしていることが書かれています。

  カナダの地にもともと住んでいた原住民(先住民)のインディアンのコミュニティ(居留地)の方々がドラッグとアルコールで浸るとも書かれています。

  僕がユーコン川川下りに行った際にも、カナダにもともと住むインディアンの方々には良く出会いました。

  僕の印象ではうつろな目をした方が多く、特定の居留地域に住まされていました。

  仕事もなくドラッグやアルコールに浸る方々も見たことがあります。

  僕はカナダユーコン川川下りをする前に、原ひろ子さんという方が書かれた「極北のインディアン」という本と「ヘアーインディアンとその世界」という本を読んでからカナダユーコン川川下りに行ったので、カナダにもともと住んでいた原住民(先住民)のインディアンの方々のことに大きな関心を持って、カナダユーコン川川下りに行きました。

  僕がカナダにもともと住んでいた原住民(先住民)のインディアンの方々の姿を見ようとしていたことが分かります。

   そのような僕の姿を見て、カナダのノースウェストテリトリーの北極圏の街イヌビックの街に住む唯一の日本人の方から絵葉書が届いたのだと思います。

   この絵葉書の文面を読み返してみると、僕も昔は、早稲田大探検部の活動中に真摯な姿勢で問題になっていることを見ようとしていたことが分かります。

   今では、僕は心の病気に罹り、早稲田大学探検部の現役の頃のように、真摯な姿勢で、何か問題になっていることを凝視することは出来なくなっているのだと思います。

  今では、地元文京区を流れる神田川沿いの様子くらいしか、見られないようです。

 先日、部屋の掃除をしていたら、僕が早稲田大学探検部3年生の時に、カナダユーコン川川下りをした際に、カナダ、ノースウェストテリトリー(NWT)の北極圏にある街、イヌビックという街で出会った日本人の方からいただいた絵葉書が見つかったので、絵葉書の文面を読み返して僕が思ったことをブログに書いておきます。

  以上、「カナダ、イヌビックでバーテンをしている方からいただいた絵葉書」

  ブログに載せます。

 

2024年3月24日日曜日

「一橋大学ラフティング部ストローム会の山下善弘さんからいただいた絵葉書の文面」

「一橋大学ラフティング部ストローム会の山下善弘さんからいただいた絵葉書の文面」

  先日、部屋の掃除をしていたら、一橋大学ラフティング部ストローム会の山下善弘さんという方からいただいた絵葉書が見つかりました。

  絵葉書の文面を読んでいたら面白かったのでブログに載せたいと思います。

  ユーコン下りも半分終わりました。

  74日の独立記念日は「アラスカ物語」でおなじみのビーバー村で過ごし、運動会に参加したり、Dinner party(もちろんただ)、ソフトボール大会にも参加しました。

  最近はキングサーモンを腹一杯食っています。ホワイトフィッシュの刺身は激うまです。

  こちらでは、いろいろハプニング(僕のメガネが壊れるなど)ありましたが、楽しくやっっています。

  自家用機でフェアバンクスからサークルまで送ってもらったりもしました。

  まだ熊には一度も会っていません。

  元気でやっています。

  では、日本へ帰ったら、又、連絡します。

  711日 ランパーツより

   


  以上のような文面の絵葉書をいただきました。

  僕は今ではこの絵葉書を下さった、一橋大学ラフティングストローム会の山下善弘さんという方のことは覚えていませんが、おそらく山下善弘さんという方がユーコン川川下りをする前に、僕のところにユーコン川川下りについて話を聞きに来たのだと思います。

 僕も一橋大学ラフティング部ストローム会の方から絵葉書をいただいていたとは、僕も昔は、信頼されていたのだと思います。

 今では、僕は何も探検冒険活動もしていないし、ラフティング(川下り)などインドブラマプトラ川川下り以来、一度もしていません。今の僕には全く信頼感が無いのだと思います。

 今の僕には自分の住んでいる文京区を流れている神田川沿いを歩くことくらいしか川に関することは出来ないのだと思います。

 先日、部屋の掃除をしていたら、一橋大学ラフティング部ストローム会の山下善弘さんという方からいただいた絵葉書が見つかったので、絵葉書の文面をブログに載せます。

 以上、「一橋大学ラフティング部ストローム会の山下善弘さんからいただいた絵葉書の文面」

  ブログに載せます。

 

 


2024年3月18日月曜日

「高田馬場のカラオケ屋さんの美人ママさんからいただいた手紙」

 「高田馬場のカラオケ屋さんの美人ママさんからいただいた手紙」

  先日、部屋の掃除をしていたら、僕が早稲田大学在学中に通っていた、高田馬場のカラオケ屋さんの美人ママさんからいただいた手紙が見つかました。

 手紙には以下のようなことが書かれていました。

  前略

  その後、お元気でご活躍のことと思います。

 在学中は御友人の皆様と度々御利用いただきまして、ありがとうございました。

 今は社会人として、何かとご苦労も多いことと思いますが、健康に留意され頑張って下さい。

 御卒業の時においでいただきました折の記念写真ができましたので同封いたします。

 普段は、あまり撮影する機会がないために、大変、お待たせいたしました。

 近くまでおいでの節はどうかお立ち寄り下さい。

 お待ちしております。

  921114日 バラエティレストラン サン

  上原和明様

  手紙は以上のような文面でした。

  手紙の文字は達筆でした。

 手紙に入っていた写真はこちら

  


 左上から 松田和郎、田村修、清水浩、森山憲一、高橋宏治

 左下から 宮澤信也、斉藤泰晴、田辺、上原和明

 です。

 この手紙をくださった、カラオケ屋さんのママさんは文京区の千駄木小学校出身の美人ママさんで、カラオケ屋さんの店内には、「反戦」と書かれた文字が掲げられていました。

「反戦」という文字が掲げられたお店では、カラオケでも反戦歌ばかり歌っていました。

 友達とこのカラオケ屋さんに行って、歌を歌いながら、水割りとかを飲んでいると、水割りに美人ママさんのマン汁が入っているじゃないかとか冗談を言い合いながら、早稲田大学探検部の仲間とカラオケを楽しんでいました。

 今から思い返しても、本当に楽しかったし、学生時代の楽しい楽しい思い出になっています。

 先日、部屋の掃除をしていたら、僕が早稲田大学在学中に通っていてカラオケ屋さんの美人ママさんからの手紙が見つかったので、ブログに載せます。

 以上「高田馬場のカラオケ屋さんの美人ママさんからいただいた手紙」

 ブログに載せます。

 

 

 

2024年3月4日月曜日

「タバコと原発」

 「タバコと原発」

   僕はヘビースモーカーです。

   11箱はタバコを吸っています。

  正月に能登半島地震が起きた際には、テレビで能登半島地震に関するニュース番組ばかり見ていて、ものすごいストレスで1日に2箱くらいタバコを吸っていました。

   医者にはタバコをやめろと強く言われています。

   一度、内科の診察の際に、医者に

 「タバコをやめろ」

  と怒鳴られたこともあります。

  父にも、

  「タバコをやめれば、胃の病気治るよ」

  と言われています。

  タバコは百害あって一利なしのもののようです。

   タバコは多くの有害物質を含み、本当に体に悪いもののようです。

   話は変わりますが、原発もタバコと同じく、人間にとって有害なもので、ひとたび原発で事故が起きると、とてつもない有害物質が放出され、人間の体に危害を加えるようです。

   タバコも原発も人間にとって、害のあるものと分かっていながらやめられないものようです。

   人間の進化の過程で、タバコも原発も人間にとって有害なものだと判明していながら、愚かな人間はタバコも原発もやめられないようです。

  ひとたび、家から外出して、コンビニなどに入店すると、レジの後ろにものすごい量のタバコが並んでいます。

  コンビニにとって、タバコは重要な収入源なのだと思います。

  いくら、医者がタバコをやめろと僕に怒鳴っても、医者がコンビニに圧力をかけて、タバコを陳列出来ないようにすることが出来ないように、世の中とはいくら原発が人間に危害を加えるものだと訴えても、原発を地球上から無くせないようです。

  これが人間の真の現実の姿で、世の中の真理なのだと僕は思います。

  人間が進化する過程で、タバコも原発も人間にとって有害なものだと判明しているにも関わらずに、人間はタバコも原発もやめられないのだと思います。

  僕がタバコと原発について考えていることについてブログを書いておきます。

  以上、「タバコと原発」

  ブログに載せます。


2024年3月3日日曜日

「ブログのページビュー数が84万ページビューを超えていた」

「ブログのページビュー数が84万ページビューを超えていた」

    今日、ブログのページビュー数を見ていたら、84万ページビューを越えていました。

    ブログのページビュー数はチェックしています。

    キリの良い数字になったので、ブログに書いておこうと思います。

   83万ページビューを超えていたのが、25日なので、約1ヶ月で1万ページビューくらいあったようです。

   今までに書いたブログ数が3438ブログなので、1ブログ、244ページビューくらいあったようです。

    僕はプロではなくド素人のアマチュアのブロガーなので、ぺージビュー数も少ないブロガーですが、ページビュー数は気になっています。

    今日、ブログのページビュー数を見ていたら84万ページビューを越えていたので、ブログを書いておきます。

    以上、「ブログのページビュー数が84万ページビューを超えていた」

    ブログに載せます。


2024年3月2日土曜日

「高齢者と原発」

 「高齢者と原発」

  僕の父は90歳です。僕の母は87歳です。

  両親ともパソコンもスマホも使えません。

  僕がパソコンもスマホも覚えた方がいいよと勧めたことは何度かありますが、難しいから、頭が悪いから分からないからと言って、一向にパソコンもスマホも覚えません。

  テレビも、テレビが地デジからCSとかに切り替わってしまったときも、地デジに自分では戻せずに、

  「和明、テレビを直してくれ」

  と僕に頼んで、僕がテレビのリモコンの地デジのボタンを押して、地デジにしています。

  テレビでBCASカードというものが差し込まれていますが、何かの拍子で、BCASカードが感知せずに、テレビが映らなくなった際にも、

  「和明、テレビが壊れた」

  と僕に言って、僕が、テレビのBCASカードの抜き差しをして、テレビが映るようにしています。

  そんな機械音痴の両親は、2人とも原発に賛成しています。

  福島第一原発事故に関しても、ものすごい津波だったから、事故が起きたんじゃないのと言って、福島第一原発事故の東電とか国の責任はないと考えているようです。

  以前、東電刑事裁判の控訴審判決が下された際に、僕がコンビニで東京新聞を買って判決についての記事を読んでいたら、父が

  「その新聞、何新聞だ」

 と言って、何か僕に対して、疑問を持ったような目を向けていました。

  両親とも中華料理店をしていたので料理は上手いですが、機械音痴です。

  原発についても、テレビとかを見て、原発に賛成しているようです。

  本は全く読みません。

 僕が読んでいるような原発について書かれている本を見ると、

 「何だこれ」

 といった表情をします。

 一般的な高齢者にとっては、テレビが一番の情報源で、テレビで報じられていることをもとに自分の考えを持つようです。

 テレビでは原発に反対するような報道がされることがほとんどないので(特に民放、東京電力などの電力会社がテレビのスポンサーをしているし、テレビがテレビカメラ、照明、編集の際のテレビモニターなどでものすごい電力を使っているので、電力会社の東電に批判的なことはほとんど言わないようです)

 そんなテレビ番組ばかり見ている両親は、原発に賛成しています。

 テレビを地デジに戻すことも出来ないし、B―CASカードのことも分からない人間が原発に賛成しています。

 僕が早稲田大学探検部関係者が原発に反対しているよと両親に言っても、早稲田大学探検部関係者は、みんな早稲田大学出身だから、頭がいいから原発に反対しているのよと言っています。

 高齢者にとって原発とはテレビの情報をもとに原発の是非を判断するもので、原発の本質を突いている本などを読んで、原発についての是非を判断するものではないようです。

 僕が家で同居している父と母が、テレビの情報をもとに原発の是非について考えているので、高齢者と原発について考えてブログを書いてみました。

 以上、「高齢者と原発」

 ブログに載せます。

 

2024年3月1日金曜日

「パソコンと原発」

 「パソコンと原発」

  僕は毎日、毎日、パソコンに向かってX(旧 Twitter)をしています。

  パソコンはレノボのアイデアパッドというパソコンで、OSWindows11です。

  Windowsを作っているマイクロソフトのビルゲイツは原発推進の立場のようです。

  良く考えてみると、原発推進の立場のマイクロソフトのOSが搭載されたパソコンを使って、X(旧 Twitter)をしたり、ブログを書いているということは、どんなに原発に反対するポストをしたり、ブログを書いたところで、原発に反対しているとは言えないのではないかと自分で思っています。

  パソコンと原発が同じ、現代文明のテクノロジーの粋を集めたもので、理系の産んだ産物であることを考えると、パソコンが原発と同じように何か危険なものなのではないかと気がしてなりません。

  別に文字を書くのに、パソコンに依存する必要もないし、手書きでも文字は書けます。

  わざわざ、電気を消費するパソコンを使って文字を書かなくも文字は手書きで書けます。

  僕の住んでいる文京区には東京大学があり、朝のある時間になると、東京大学で大量のパソコンを立ち上げるので、ものすごい電気を消費しているという記事を以前読んだことがあります。

  もし、文京区が停電したら、東京大学の重要なデータを扱っているコンピュータが使えなくなり大変なことになるようです。

  僕は一日中、パソコンに向かい、Xでポストをしたり、ブログを書くためにパソコンのキーボードを叩いていますが、どんなに僕がブログで原発に反対する内容のことを書いたところで、原発推進の立場のビルゲイツの率いるマイクロソフトのOSが搭載されたパソコンを使っている限り、原発に反対していることにはならないのではないかと自分で思っています。

  パソコンもスマホもネットもやめて、何か紙に手書きで、原発に反対する内容の文章を書いたときに初めて、真に原発に反対していることになるのだと思っています。

  僕がパソコンと原発について考えていることをブログに書いておきます。

  以上、「パソコンと原発」

 ブログに載せます。

 

「2月は5万984字入力していたようだ」

 「2月は5984字入力していたようだ」

    ATOKマンスリーレポートを見ていたら、僕は、20242月は5984字パソコンで入力していたようです。

   ブログを書くこと、Twitterをやることで、パソコンのキーボードで入力しているので、入力した文字数が一月、5万字を超えていたのだと思います。

   一日平均1758字くらいです。

   入力時間は101時間、原稿用紙128枚分入力していたようです。

   相当、長い時間、パソコンに向かい、キーボードをカチカチ打っているようです。

   5万字を超える文字を入力していたとは、多い入力数だと思います。

   毎月、毎月同じようなブログを書いていますが、今日、ATOKマンスリーレポートを見ていたら、20242月は5984字入力していたようなので、ブログを書いておきます。

    以上、「2月は5984字入力していたようだ」

     ブログに載せます。