「一人にならないと文章は書けないようだ」
何度もブログに書いていますが、3月23日に、早稲田大学探検部チベット隊とチベットで会った方々と集まります。
僕はチベットに行ったときのことも、カイラス山北壁で一人になり、カイラス山北壁で一人になった時のことを文章にしています。
カイラス山北壁以外のことでも、何か文章を書こうと思えば書けたのかもしれませんが、カイラス北壁で一人になったときの事以外には僕はチベットに行ったときのことは文章を書いていません。
仲間と楽しく一緒に活動していると文章も書けないのだと思っています。
文章を書くとは、一人になり孤独な気持ちで、目にしたこととか、感じたことを文章に書いているような気がしています。
仲間と楽しく一緒にいるときは、辛い気持ちになったり、何かを感じ取ったりすることもないようです。
仲間と一緒にいれば楽しいし、辛い思いをしなくても済みますが、自分の内面を照射したような文章は書けないようです。
僕が思うに、文章を書くとは孤独だから文章を書くのだと思っています。
文章を書く人間が、仲間と楽しく一緒に活動してれば、自分の内面を照射するような文章は書けないと思っています。
仲間と楽しく一緒に活動することももちろん良いことだと思いますが、時には一人になり、自分の内面を照射するような文章を書いてみるのも良いことだと僕は思っています。
僕がチベットに行ったときに、カイラス山北壁で一人になり、その時のことを文章にしているので、文章とは一人にならないと書けないのだと思いブログを書いてみました。
以上、「一人にならないと文章は書けないようだ」
ブログに載せます。
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