「高校時代の修学旅行」
僕が通っていた高校、都立小石川高校では修学旅行がありました。
修学旅行は、西日本の、萩・津和野とか、広島に行ったと思います。
萩では、吉田松陰の生家とかを見学したことを覚えています。
広島では、広島平和資料館を見学したことを覚えています。
厳島神社にも行ったことを覚えています。
都立高校の修学旅行が全て、萩・津和野、広島に行くのかは分かりませんが、僕らの頃の小石川高校では、西日本の、萩・津和野、広島に行きました。
歴史のある街を訪ねた修学旅行だったので、歴史の勉強にはなったと思います。
早稲田大学時代に所属していたサークル探検部のような、強烈な印象に残る旅行ではありませんでしたが、広島の平和資料館のことだけは、その異様な雰囲気を覚えています。
原爆のことは歴史の教科書で学びましたが、高校生ながら、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さを感じることの出来たのが、広島の平和資料館だったと思います。
真面目な高校らしく、真面目な修学旅行で、勉強になる修学旅行で、良くも悪くも勉強になる修学旅行で、浮ついたことも全くない真面目な修学旅行でした。
歴史の痕跡を探る修学旅行で、勉強になりました。
高校時代に原爆の恐ろしさを感じられて、僕も平和を尊ぶ気持ちが湧いたのだと思います。
僕がその後の人生でも、戦争の悲惨さ、愚かさを口にするようになったのも、高校時代の修学旅行での経験が大きいのだと思います。
僕は、中学時代は生徒会長でしたが、戦争をするようなことは口にしたことはないし、他の中学校間との争い事もしませんでした。
高校時代もバスケットボール部に所属していて、一年生の時は責任者になりましたが、バスケットボール部を、軍隊のようなクラブにはしたくありませんでした。
練習は厳しかったですが、僕の所属していた小石川高校バスケットボール部は、自由な雰囲気も持ち合わせていたし、部員の方々も、平和主義者の方々だったと僕は確信しています。
高校時代の修学旅行で広島の平和資料館に行って、原爆の恐ろしさを感じていたことから、僕の平和への思いも書いてみました。
以上、「高校時代の修学旅行」
ブログに載せます。
0 件のコメント:
コメントを投稿