「3.11の2時46分頃に居た場所が、僕の居場所かも知れない」
僕は、2011年の3月11日に起きた東日本大震災時の、2時46分頃は、春日通りの富坂付近の春日局の銅像の付近で都営バスに乗っていました。
地震が起きると、バスは緊急停止しました。
バスの窓から外を見ると電信柱が上下に揺れていました。
ものすごい大きな揺れだと思いました。
震度は、震度5弱、震度5強、くらいと言われていますが、電信柱の揺れ方を見ると、物凄い揺れだったと思います。
都営バスが緊急停止したことも考えると、如何に大きな揺れだったかが分かります。
僕はバスに乗っていたので、バスがもともと揺れている車両なので、バスの中では、僕は余り揺れは感じませんでした。
僕が乗っていたバスは緊急停止したので、しばらくバスの中にいました。
バスの中で、バスの乗客の方たちが、中越地震の話をしていたのを覚えています。
大きな地震が起こり、新潟で起きた中越地震を思い出した方もいたのかと思います。
バスの乗客の方々は思いのほか、冷静でした。
バスが再び動き出し、僕がバスを降りる停留所の、小石川五丁目に着いて、バスを降りて、自宅に戻ると、両親が本当に地震が怖かったと言っていました。
僕も、自分の部屋に入ると、テレビがひっくり返っていました。
自宅にいたら、テレビがぶつかり怪我をしていたかもしれません。
テレビも凶器になります。
パソコンは、ひっくり返っていませんでした。
本棚も倒れていませんでした。
僕は2011年3月11日2時46分の東日本大震災発生時には、文京区の春日通り沿いの、春日局の銅像のすぐそばにいましたが、もしかたら、2011年3月11日2時46分頃に居た場所が僕の居場所かも知れないと思っています。
文京区の象徴とも思われる春日局の銅像のすぐそばの富坂付近で2011年3月11日2時46分頃に僕は都営バスに乗っていたからこそ、地震の大きな揺れも感じずに、大きな恐怖にさらされなかったことを思うと、何かの縁を感じさせます。
僕のような気の弱い人間は春日局のような女性に
「頑張りなさいよ」
とか𠮟咤されながら仕事をするのが向いているのかもしれないと思いました。
「頑張りなさいよ」
とか𠮟咤されながら仕事をするのが向いているのかもしれないと思いました。
以上、「3.11の2時46分頃に居た場所が、僕の居場所かも知れない」
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