「早稲田大学時代が人生の頂点だった人生」
僕はもうすでに48歳です。
もうすぐ、50歳になります。
結構、長い時間を生きてきましたが、僕の人生の中で、頂点に当たる人生のステージは早稲田大学時代だったと思います。
サークルは探検部に所属し、前にも後にもなく、外国とか行っていたし、アルバイトして貯めたお金で、ミクロネシアとかチベットとかユーコンとかプラマプトラとかに行っていました。
僕の学生時代がちょうどバブルの頃で、学生でも外国に行けた時代だったということもありますが、大学を卒業すると、仕事、仕事で、一回、カンボジアに行って以来、外国には一度も行っていません。
カンボジアに行ったのも、仕事で行きました。
大学を卒業すると、会社のこととか、仕事の事とか考えるようになります。
現在では、とても、外国に行くことなど考える余裕は経済的にも、時間的にもありません。
一年に一度、国内でも旅行できれば、気晴らしが出来るかと思いますが、東日本大震災が起きて以来、ネットと図書館で、震災関連のことを調べるのに費やし、国内旅行もしていません。
毎日、毎日、テレビや新聞で、東北の被災地の方々のことが報道されているので、どうしても、生活も慎ましくなります。
僕も、2011年は、浦安市といわき市にボランティアに行きましたが、被災地の光景は忘れないと思います。
その後も、Twitterを通じて、被災地関連の情報のツイートをしてきました。
日本にとって、東日本大震災は未曾有の大災害で、2016年の現在でも、これだけ、被災地のこととか、原発のこととか、津波のこととか、防災のことが各自治体の懸案になっていることを思うと、とてもでありませんが、学生時代のようにお気楽な気分で外国旅行とかする気にはなりません。
外国に行ったとしても、日本のことはチェックすると思うし、学生時代のように、ネット環境も無く、情報が遮断された辺境に赴いて活動をすることはないと思います。
特に早稲田大学探検部の人間は、日本で、彼女が出来ない人間が、東南アジアとかに行って、女遊びする人間もいたし、純粋に探検・冒険を追求していた人間は少なかったかもしれません。
外国に行くにしても、日本国内で活動するにしても、例えば、活動用のTwitterを開設して、日々の活動をブログなりで報告するとか、ネット時代の活動のやり方もあるかと思います。
いつまでも、昔の先輩方の活動を真似て、活動していては、早稲田大学探検部も、硬直化してくると思います。
例え、Twitterのフォローワーさんがつかなくても、ある期間を決めて、Twitterから活動を報告するだけでも、自分たちの活動がどの程度支持されているかが分かり、その後の活動の参考になるかと思います。
僕が、今の時代に早稲田大学探検部に所属していたとしたら、ネットを活用して、自分たちの活動をアピールしていたと思います。
Twitterなど、面白いツールだと思います。
僕の人生のなかにおける、早稲田大学時代のことと振り返るとともに、現在の早稲田大学探検部のことも考えてみました。
以上、「早稲田大学時代が人生の頂点だった人生」
ブログに載せます。
0 件のコメント:
コメントを投稿