2022年4月24日日曜日

「超人格者のエスピオナージ 西木正明」

 「超人格者のエスピオナージ 西木正明」

 2020年6月4日に早稲田大学探検部OB会よりメールが届きました。

 メールには西木正明さんの書かれた記事が添付されていました。

 記事は以下のような記事です。

  時評 超人格者のエスピオナージ 西木正明

  もういい加減にしてくれ。

 ここしばらくそう言いたくなるほど、新聞にしろテレビにしろ、パソコンやスマホ関連のメディアにしろ、どこもかしこも、新型コロナウィルス関連のネタばかりが続いていた。

 そんな日々にうんざりしていた4月3日午後、手元の携帯の着信音が鳴った。電話の主は、勉強好きで7年余りも学部在籍した筆者に、なぜか卒業証書を与えてくれなかった、早稲田大学の同期OBだった。

 携帯を耳にあてると、挨拶を抜きにしていきなり言われた。

 「今朝方ニックが亡くなった」

 驚いて返事も出来なかった。

 筆者も末席にいる、現代日本の探検冒険の人脈の中に、ニックという名の人物はひとりしかいない。英国出身で、日本に帰化したC・W・ニコルだ。

 その彼の死を告げられて、すぐには信じられなかった。この半世紀ほどメディアに登場したニックは、それほど多岐にわたり活躍する存在だったからだ。

 それにしても、と携帯電話を切りながら考えた。彼と最後に会ったのはいつだっただろうと。最初の出会いについては、よく覚えているのだが。

 今や作家として、あるいは環境保全活動家として知られるニックとの出会いは、1964年の真夏だった。

 場所はゾルゲ事件や阿部定事件の弁護で有名な、竹内金太郎弁護士邸。彼の孫が早稲田大学探検部員で、後に鎌倉市長になった竹内謙(故人)だ。親友という縁につけこんで、筆者らは都内にあるその豪邸で合宿していた。

 ユーラシア大陸と北アメリカ大陸を隔てているベーリング海峡を、凍結時期に徒歩で横断する手段を把握することが、この合宿の当面の目標であった。

 その先の狙いは、南北アメリカ大陸のインディアンやエスキモーと呼ばれている先住民族の御先祖が、日本人と同じモンゴロイド(蒙古系民族)であることを、子孫である筆者らが、モンゴルから南アメリカ大陸南端までを徒歩でなぞって証明すること。

 この探検行動で最も大切な任務はベーリング海峡の、凍結した海を徒歩で横断して、はるか昔の先人たちの行動を再現することだった。

 ニックにその旨を話すと、

 「自分は今、日本大学で日本語を勉強中だが、君たち早稲田の探検部が、いにしえの民族大移動を再現しようとしていることを知って、すばらしいと思い、出来れば自分も参加したいと思った。なにか手伝えることがあればと思って、お邪魔した」

 まさに渡りに船だった。ニックの登場は、その目標達成のシグナルのように思えた。

 以後ニックは、筆者らの合宿に足しげく顔をみせ、いろいろと手伝ってくれた。なによりもうれしかったのは、われわれがベーリング海峡で越冬した時、面倒を見てくれる現地の人を紹介してくれたことだった。

 半年後の1965年1月。筆者を含む3人の探検部員は、零下50度以下まで下がるベーリング海峡で越冬するため、貨物船に乗ってアラスカを目指した。

 ニックが紹介してくれた現地人パイロットも、とても親切に筆者らを支えてくれた。

 思わず笑ってしまったのは、その友人が米中央情報局CIAの腕っこきだったことである。

 その彼は冗談まぎれに、

 「ニックが君たちのことをわたしに託した時にこうも言っていた。君たちは日米安保条約に強く反対した学生運動のヒーローだ、と」

 さらに、こうも言っていた。

 「彼は私同様諜報機関の人間だから、君たちがベーリング海峡で見たことをソ連に伝える可能性があると思ったのかな」

 その後筆者たちは、いつも落ち着いた紳士だったニックに、超人格者エスピオナージ(諜報員)というあだ名をつけた。彼は今天国で、いかなるスパイになっていることか。

 (作家 仙北市出身)

 以上が西木正明さんが書かれた文章です。

 C・W・ニコルさんのことを書いている記事です。

  早稲田大学探検部とC・W・ニコルさんは関係が深いようです。

  僕のメールアドレスに2020年6月4日に早稲田大学探検部OB会より届いたメールに添付されていた記事をブログに載せます。

 以上、「超人格者のエスピオナージ 西木正明」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

「森と海からの手紙」 根開け再生の森に春 長野信濃「アファンの森」

 「森と海からの手紙」 根開け再生の森に春 長野信濃「アファンの森」

 2022417日に、早稲田大学探検部22OBの萩尾信也さんからメールが届きました。

 メールには毎日新聞の記事が添付されていました。

記事は、「森と海からの手紙」 根開け再生の森に春 長野信濃「アファンの森」という記事でした。

以下のような記事です。

近年まれにみる豪雪で1メートルほどの雪が残る3月末長野信濃町。信越境の山裾にある「アファンの森」では、木々の周りからが解けて地表が顔を出す「根開け」が始まり、シジュウカラたちのさえずりが春の訪れを告げていた。

英国ウエールズ生まれの探検家で作家のC・W・ニコルさん(享年79)の遺灰は、コナラの木の下の石碑中に納められていた。

彼が武道を学びに初来日したのは、1962年秋だった。「四季が育む、世界でも屈指の多様な生態系に満ちた島国」に魅了され、来日を重ねた。当時の日本には豊かな自然と、大地に根差して生きる人の営みが残っていた。

経済成長期の開発で山河が荒廃すると保全活動の先頭に立ち、80年には信濃町に居を構えた。荒れ果てたまま放置されて「幽霊森」と呼ばれていた10ヘクタールの森を購入したのは6年後。「アファンの森」と名付けて再生に着手し、今では34ヘクタールに広げて、1540種もの動植物が息づく日当たりの良い聖域となった。

彼はその森に、東日本大震災で家族を亡くした子どもたちや、心身に痛みやハンディを抱える人々を招待した。そして、森に身を置く日々の中で次第に笑みを取り戻していく彼らの姿を見守ってきた。

私がニコルさんの知己を得たのは、30年ほど前の夏だった。共通の友人であるカヌーイストの野田知佑さんらと、カヤックで四国の清流「四万十川」を下る旅に出た。

野田さんは世界各地の川を旅してきた。川をコンクリートの水路に変えて生き物たちのすみかを奪っていく日本の行政にあらがいながら、こどもたちに川遊びの楽しさを伝える「川の学校」を主宰してきた。

四万十川の川旅は、山河や海が子どもたちの遊び場だった時代をほうふつとさせる日々だった。大きな淵を見つけるとダイブして、ハヤやアユを追い続けてきた。

夕べには岸辺でたき火を囲み、地元の人々が差し入れてくれたテナガエビやウナギを肴に地酒を堪能。野田さんのハーモニカに合わせて、ニコルさんが自慢ののどを聞かせてくれた。

2015年には、ニコルさんと一緒に耐氷船で北極圏を巡った。彼が、極地探検家として青年期を過ごした思い出の地だった。

そこで、温暖化で崩落する氷河や生息域を失っていく白熊の姿を目の当たりにした。「同化政策」で先住民のイヌイットの定住化が進み、自然の恵みを分かち合う狩猟生活は崩壊。人々は生活保護に頼り、アルコールや薬物への依存や、自殺やDV(庭内暴力)が深刻になった。

健康管理には無頓着だった彼の直腸にがんが見つかったのは、16年の初夏だった。手術を経て復調の兆しも見えたが、3年後に転移が見つかった。

スマートフォン越しに声を聞いたのは、コロナ感染が拡大していた202月。彼は東京都内で入院生活を続けていた。

「地球の行く末に思いをはせていると、果てしない宇宙に奇跡のように存在するこの星がますます小さくなって、人が金太郎あめのように均一になっていくように思えてならないよ」。悲しげな口調が、耳にこびりついている。

「最期は自宅で迎えたい」との思いから、退院して家に戻ったのは翌月末だった。1週間後に容体が急変し、搬送先の病院で43日に息を引き取った。

亡きがらは森に戻り、スタッフや仲間たち野辺で摘んできたユキワリソウを添えて、出棺。荼毘の煙は、県境の空に溶けていった。

そしてこの春。私はアファンの森で野田さん(享年84)の訃報に接し、ニコルさんの石碑に報告した。

石碑には、ニコルさんの思いが刻んである。

<森と風に耳をかたむけてほしい。なにものにもとらわれず心を開けば、きっと囁きが聞こえるだろう。よく来てくれたと>

「森が荒廃すると川や海も荒れ、人の心もすさんでいく」。ニコルさんと野田さんが共有した思いである。

アファンの森には、ほどなく紅葉のカタクリの花が咲く。そして、「SDGs(持続可能な開発目標)という言葉が世間で飛び交う中、輸入材の高騰による木材不足で、アファン周辺の森では乱伐が続いている。

人の暮らしが自然と乖離していくこの時代。耳を澄ませ、森と川から聞こえてくるささやきを記していきたい。

 【客員編集委員・萩尾信也】

 =毎月第3火曜掲載

 なかなか良い記事だと思いました。

 20224月17日に早稲田大学探検部22期の萩尾信也さんから記事が送られてきたので、記事をブログに載せます。

 以上、「森と海からの手紙」 根開け再生の森に春 長野信濃「アファンの森」

 ブログに載せます。

 

 

 

2022年4月21日木曜日

「東日本大震災関連書籍の紹介サイトのページビュー100万ページビューを超えていた」

 「東日本大震災関連書籍の紹介サイトのページビュー100万ページビューを超えていた」

  東日本大震災関連書籍の紹介サイトのページビューを確認していたら、ページビューが100万ページビューを超えていました。

  本を紹介するサイトで、これだけページビューがあると、僕も本意です。

  東日本大震災関連書籍の紹介サイトのページビュー数が60万ページビューを超えたのが、2020210日だったので、約22ヶ月で、40万ページビューあったことになります。

  東日本大震災関連書籍の紹介サイトのページビュー数が80万ページビューを超えたのが、2020年12月21日なので、約1年5ヶ月で20万ページビューあったことになります。

 本の内容はシビアな内容の本が多いので、読むのも大変な本も多くありますが、皆さんが関心を持たれている本が掲載されているのだと思います。

  ネットを見ているより、本を読んだ方が良いし、本に興味がある方も多くいらっしゃるのだと思います。

  僕の書いている本を読んでの感想も読まれているようです。

  東日本大震災関連書籍の紹介サイトのページビューが100万ページビューを超えていたので、ブログに書いておきます。

  以上、「東日本大震災関連書籍の紹介サイトのページビュー100万ページビューを超えていた」

 ブログに載せます。

2022年4月17日日曜日

「おくのほそ道」

 「おくのほそ道」

 僕が長い間、

 「震災本を 集めて早し 神田川」を詠むことになった種本があります。

 NHK100分で名著から出ている

 「おくのほそ道」という本です。

  東京大学法学部出身の長谷川櫂という方が書かれた本です。

  松尾芭蕉と河合曾良が東北を歩いて書いた紀行文「おくのほそ道」をわかりやすく書いている本です。

 この本についての2020年1月26日の早稲田大学探検部関係者とのメールでのやり取りは以下のようなものです

𠮷澤さま、早稲田大学探検部OBの皆様

 こんにちは上原です。

吉澤さま、早稲田大学探検部OBの皆様、僕のブログを読んでいただけているでしょうか。

僕が長い間、

「震災本を 集めて早し 神田川」を詠むことになった種本があります。

NHK100分で名著から出ている

「おくのほそ道」という本です。

東京大学法学部出身の長谷川櫂という方が書かれた本です。

松尾芭蕉と河合曾良が東北を歩いて書いた紀行文「おくのほそ道」をわかりやすく書いている本です。

早稲田大学探検部OBの皆様にも是非、ご一読していただきたい本です。

特に「たくさんのふしぎ 世界の納豆をめぐる探検」を書かれた高野秀行さんに読んでいただきたい本です。

僕が長い間、

 「震災本を 集めて早し 神田川」を詠むことになった種本を皆様にお知らせします。

 後輩からのメールで生意気だと思う先輩方も多くいらっしゃることは承知の上でメールをさせていただきます。

 上原 和明 拝

 上原さま

 こんにちは。メールをありがとうございます。

件名が転居の連絡となっていたので、引っ越したのかなと思ったのですが、それは昨年の自分のことでした。今も百合ヶ丘のUR団地に住んでいます。

さて、本のご紹介をありがとうございます。100de名著の「奥の細道」の番組も見ていて面白かったですし、貴兄一押しの本であればぜひ読んでみます。長谷川櫂氏はこわもてで声も低いですが、繊細で立派な俳人ですね。学生時代に万葉集の研究で有名な佐々木信綱の孫で歌人の佐々木幸綱先生の講義を取ったことがあるのですが、その先生もいかつくて、見た目はヤクザな感じでしたが、味のある日本文学の講義で珍しく出席し、聴いていたのを懐かしく思いました。

1112月はよく飲みに行っていたのですが、コロナでまた家飲みしています。早くまた探検部の皆さんと気兼ねなく飲みに行けるようになってほしいと願っております。

吉澤拝

上原さま、吉澤さま

本の紹介をどうもありがとう。

日本へ帰ったら読んでみます。

今、タイとミャンマーの国境地帯にいます。

この辺に来るのは久しぶりだけど、

なかなか面白いです。

高野

 吉澤さま

こんにちは、上原です。

僕からのメールに返信を下さりありがとうございます。

吉澤さんが早稲田大学の学生の頃に、佐々木幸綱先生の講義を受講されていたこと初めて知りました。

僕が皆様にご紹介させていただいた本「おくのほそ道」を書かれた長谷川櫂さんという俳人の方も吉澤さんはご存じとのこと恐れ入りました。

読みやすい本なので、お時間のある時に読んでいただければ幸いです。

上原 拝

高野さま

こんにちは上原です。

コロナ禍の中、タイとミャンマーの国境地帯におもむかれているとのことで、

どうやって、外国に行ったのか僕は不思議です。

何かの取材でしょうか?

お体にお気をつけて活動なさってください。

上原

上原さま

他のみんなも貴兄からのメールを見て喜んでいることと思います。

もう40年ほど前ですが、中学の修学旅行が東北地方で、奥の細道の一節も暗記して、平泉にも行きました。あの時代に東北のあの土地に理想郷を作ろうとした藤原一族の壮大なロマンに今さらながら感心し、それがほぼ跡形もなくなってしまった無常観に思いを馳せます。

高野さんはこのような時期でも探検しているのですね。まさか海外にいるとは知りませんでした。貴兄のおかげです。また面白い本を出してくれることでしょう。

吉澤

吉澤さま

こんばんは、上原です。

メールを下さりありがとうございます。

僕も「奥の細道」を読んで、平泉の中尊寺に行きたくなりました。

僕はいまだに平泉の中尊寺に行っていません。

僕もいつの日か、平泉の中尊寺に行ってみたいと思っています。

上原

 以上のようなやり取りを早稲田大学探検部関係者としました。 


  早稲田大学探検部OBの皆様にも是非、ご一読していただきたい本です。



「ブログのページビュー数が68万ページビューを超えていた」

 「ブログのページビュー数が68万ページビューを超えていた」

   今日、ブログのページビュー数を見ていたら、68万ページビューを越えていました。

   ブログのページビュー数はチェックしています。

   キリの良い数字になったので、ブログに書いておこうと思います。

   64万ページビューを超えていたのが、1030日なので、約半年で4万ページビューくらいあったようです。

   今までに書いたブログ数が3234ブログなので、1ブログ、210ページビューくらいあったようです。

   僕はプロではなくド素人のアマチュアのブロガーなので、ぺージビュー数も少ないブロガーですが、ページビュー数は気になっています。

   今日、ブログのページビュー数を見ていたら68万ページビューを越えていたので、ブログを書いておきます。

   以上、「ブログのページビュー数が68万ページビューを超えていた」

   ブログに載せます

2022年4月15日金曜日

「ウクライナのことに関してグーグルからメールが来た」

 「ウクライナのことに関してグーグルからメールが来た」

 先日、グーグルからウクライナのことに関してメールが来ました。

 以下のようなメールが届きました。

 重要: ウクライナに関する最新情報

 お客様

  ウクライナでの戦争を受け、Google は、戦争を利用するコンテンツ、戦争の存在を否定するコンテンツ、または戦争を容認するコンテンツを含む広告の収益化を一時停止します。

  なお、ウクライナでの戦争に関する主張が既存のポリシー(たとえば危険または中傷的なコンテンツに関するポリシーでは、暴力を煽るコンテンツや不幸な事象の存在を否定するコンテンツの収益化が禁止されています)に違反していた場合は、それらの主張に対してすでに措置を取っております。パブリッシャー様向けガイダンスが今回の紛争に関連しているため、その内容をわかりやすく説明する(場合によっては拡大する)ことが、このお知らせの主旨です。

 この一時停止措置の対象には、不幸な事象が起きた責任は被害者自身にあると示唆する主張、および被害者に対する同様の非難(例: ウクライナが大量虐殺を行っている、または意図的に同国民に攻撃を行っているとする主張)が含まれますが、これらに限定されません。

 今後ともよろしくお願い申し上げます。

Google AdSense チーム

 ウクライナのことに関して軽率にブログなどを書けないようです。

 僕は新聞、テレビの報道でウクライナ情勢のことは見ていますが、きちんとしたブログを書けるほどの知識もありません。

 先日、グーグルからウクライナのことに関してメールが来たので、メールをブログに載せます。

 以上、「ウクライナのことに関してグーグルからメールが来た」

 ブログに載せます。

 

 

 

2022年4月1日金曜日

「先月は4万8千字以上入力していたようだ」

 「先月は48千字以上入力していたようだ」

 ATOKマンスリーレポートを見ていたら、僕は、20223月は48千字以上パソコンで入力していたようです。

 ブログを書くこと、Twitterをやることで、パソコンのキーボードで入力しているので、入力した文字数が一月、48千字を超えていたのだと思います。

 一日平均1559字くらいです。

  コロナ禍で、パソコンでブログを書く時間が減っています。

 自宅にいる時間が長く、胃が痛くて痛くて、ブログを書けません。

  毎月、毎月同じようなブログを書いていますが、今日、ATOKマンスリーレポートを見ていたら、20223月は48千字以上入力していたようなので、ブログを書いておきます。

  以上、「先月は48千字以上入力していたようだ」

  ブログに載せます。

2022年3月31日木曜日

「3月は1日平均8982歩歩いていたようだ」

 「3月は1日平均8982歩歩いていたようだ」

   スマホの万歩計を確認していたら、僕は、3月は1日平均、8982歩歩いていたようです。

    僕は1日8千歩歩くことを目標に歩いているので、目標は達成しました。

    以前は1日平均9千歩以上歩いていましたが、少し歩く歩数が減ってしまっているようです。

    長期間のコロナ禍で慢性的な運動不足で、体調が悪いので、少しずつでも歩く歩数を増やしていきたいと思っています。

    こらからも少しずつ、歩く歩数を増やしていこうと思っています。

    出来れば11万歩を目標にしていきたいと思っています。

    同じようなことを書いていますが、3月は1日平均8982歩歩いていたようなのでブログを書いておきます。

     以上、「3月は1日平均8982歩歩いていたようだ」

     ブログに載せます。

2022年3月29日火曜日

「森山憲一からの2010年1月24日のメール」

 「森山憲一からの2010124日のメール」

 2010124日に、早稲田大学探検部33期で同期だった森山憲一よりメールが届きました。

以下のようなメールが届きました。

 探検部OBのみなさま

 探検部87年入部の森山憲一です。

河合圭祐(89年入部)を知っていると思われる人にメールしてます。

 ご存知の方も多いと思いますが、

河合は現在肺ガンで国立がんセンターに入院しています。

河合は独身だし実家も離れており(愛知)、

なにかと助けがいるので、治療費のカンパをしようと思います。

賛同いただける方は、以下の口座にお振り込みください。

いくらでもかまいません。

肺ガンの治療には100150万くらい必要になるらしいので、

50万円くらいカンパできれば、と思っています。

 三井住友銀行

つきみ野支店

普通口座

4127002

モリヤマ ケンイチ

 私の個人口座を使うのはどうかと思うのですが、

他に適当な手段を思いつかず、

よりよい方法について議論するよりは、さっさと始めたほうがいいと思い、

ひとまずこれでお願いします。

振り込みしていただいた方は、森山までメールでご一報ください。

河合が今月末~2月頭にがんセンターを退院するそうなので、

その時点で一回締めて、責任もって河合にわたします。

もちろんその報告もします。

 ちなみに、河合は昨夏ごろから後頭部に痛みと違和感があったため病院に行ったところ、肺ガンの転移と判明。年明けから国立がんセンターに入院していて、今月末~2月頭に退院の予定。自宅を引き払って実家に帰り、名古屋あたりの病院に再入院して治療を続ける予定とのこと。

河合と親しかった方は、できればがんセンターにいる間にお見舞いに行ってやってください。

今のところはけっこう元気ですし、喜ぶと思います。

国立がんセンター14階のナースセンターで聞けば、病室はわかります。

時間は午前でも午後でも適当でいいみたいです。

 ここから先は、私の考えです。

河合の病状はかなり深刻で、次の正月まで生きられるかどうかというところだと思います。

もともと肺ガンは手術で治る可能性の低いガンなのですが、

河合のように頭と大腿骨に転移のステージ4となると、効果的な治療法はほとんどないという具合です。

しかも河合はまだ若いのでガンの進行も早く、へたするとこの夏をこせない可能性すらあります。

 以前、私も肺ガンを疑われて、ありとあらゆる検査をされた経験があり(結果的にちがったのですが)、

結果がはっきりするまでの1カ月くらいはかなり落ち込んで、家族に遺書まで書いたことがあります。

その間、ひたすらインターネットで肺ガンのことを調べまくっていたので、肺ガンのことは人よりは知っているつもりです。

だから河合のことはあまり他人事に思えないのです。

医者でもないのに勝手な予想は本来はするもんじゃないのですが、

河合のかなり深刻な状況を理解してもらいたく、あえて書きました。ご容赦を。

 以上です。

よろしくお願いします。

 

このメールに対する僕からの返信は以下のようなものでした。

 ご無沙汰してます。探検部87年入部の上原和明です。

本日、森山からのメールを見て初めて河合の病気知りました。

森山のメールを読むと、病状はかなり悪そうで心配です。

 先程、森山に電話しましたが、まだ元気そうとの事で、今週中に私も見舞いに行こうと思います。

森山と電話で話したところ、河合は探検部の後輩にアルバイトを提供していたそうで、河合の探検部思いが伝わってきます。

又、私たちの同期の平の白神山地での遭難事件の際、遺体捜索や遺品捜索や親御さんを現地までお連れしたこと、

又、大菩薩に親御さんをお連れして私たちで作ったケルンの下に分骨したことを親御さんが感謝なさっていらしたことを例に出して、

河合も探検部の友人の同情の念に包まれて地元に帰れれば、親御さんも喜ぶのではないかと、言ってました。

 河合は高校の頃サッカー部のゴールキーパーでした。そのせいか、探検部でも最後の最後まで探検部の砦を守っていた

ような気がします。

 私も微力ながらカンパに協力します。

森山のご尽力に感謝するとともに、探検部OBの皆様の河合への同情の念を願って止みません。

私たちの同期でメールから漏れていた、松田泰と倉島には森山からのメール転送しておきました。

 以上、拙文で恐縮ですが、河合への同情の念を募るメール致します。

 上原和明 拝

 このようなりとりをして、僕は早稲田大学探検部に心が引き戻されました。

以上、 「森山憲一からの2010124日のメール」

 ブログに載せます。

 

 

 

「早稲田大学探検部OB会からの2011年10月2日のメール」

「早稲田大学探検部OB会からの2011102日のメール」

僕が早稲田大学探検部22期の萩尾信也さんの著作を読むことになったメールがあります。

2011年10月2日の早稲田大学探検部OB会からのメールです。

以下のようなメールです。

nakamoto@fa.catv.ne.jp

2011102() 7:47

22期萩尾信也さんの震災報告の情報です。

From: Tatsuo Ito

Sent: Saturday, October 01, 2011 8:25 PM

To: 中本信義

Subject: Fwd: 萩尾さん 近著

中本さん

お世話になります。

探検部OB 毎日新聞 萩尾さんが、毎日新聞連載企画を、毎日新聞社から単行本『三陸物語』として、刊行されました。OB各位にご紹介いただければ幸甚です。

毎日やAmazonnのウェブサイトを参照してください。

萩尾さんは、毎日新聞社で、障害を持った人々の目で事象を取り上げ、社会部の大記者(現場で日日の事象を追う現場記者とは基準を替えて、広い目で事象を捉える立場)として活動されてきました。3.11以降は、自らすすんで、三陸担当として、出身地でもある釜石に拠点を置いて、三陸担当編集委員として、取材執筆をしています。ことに、障害者の被災という視点は非常にユニークです。取材の手法は、個人への密着したインタビュウに徹し、事実の積み上げで、未曾有の事態に対した、実際の事実を、多層的に浮かび上がらせています。

毎日では、確か、週5日の朝刊連載をこなし、私もできるだけ追いかけていました。ウェブでもこれまでの記事をたどれます。

私自身、新聞の報道の限界を感じていた折で、814日夜、釜石で彼と一献やった折にも、そんな激しいことを彼にも伝えました。その折の彼の返答を記憶しています。「俺は、新聞が好きだ、毎日が好きだ。この新聞記者の仕事をしっかりとやりたい」。

仲間として、敬意を表します。

不遜にも、すばらしい彼の成果を、仲間の誇りとして共有したいと思い、彼の志を、皆様に転送できればと思います。

18期 伊藤達生

---------- 転送メッセージ ----------

From: Shinya Hagio <hagio-s@mainichi.co.jp>

日付: 201110111:17

件名: 伊藤兄

To: titou@nikkeibp.co.jp

ご無沙汰しております。毎日新聞の萩尾です。

 私は3月11日の震災直後から、岩手県の被災地に滞在して取材を続けており

ます。その新聞連載記事がこのたび「三陸物語」(毎日新聞刊)というタイトル

の本になりました。お読みいただければ幸いです。

 みなさまにもよろしくお伝えください。

毎日新聞・萩尾

 伊藤達生

Tatsuo Ito

Nikkei National Geographic

以上のようなメールを20111年10月2日に早稲田大学探検部OB会よりいただきました。

以上、「早稲田大学探検部OB会からの2011102日のメール」

ブログに載せます。