「40代の6年半以上をTwitterに費やしてしまったが“Don’t give up”」
僕は2010年の2月から、Twitterを始めました。
今日は、2016年の9月19日、敬老の日です。
2010年2月にTwitterを開設して以来、ほぼ、毎日のようにTwitterに来ていて、僕の40代の人生の大半である、6年半以上をTwitterに費やしてしまいました。
僕はもう、早稲田大学探検部関係の方々に対しての悪いようなことは書きたくないのですが、東日本大震災にあたっての高野秀行の判断を含め、早稲田大学探検部の方々の判断が正しい判断をしていたかに大いに疑問が湧きます。
高野秀行とは早稲田大学探検部の現役時代に一緒に活動をしたこともないし、僕と高野秀行はもともと、そんなに深い関係にありません。
高野秀行が物書きなので、僕が書店でアルバイトをしていた頃に高野秀行の著作に対して、アドバイスしたこともありますが、早稲田大学探検部の活動で高野秀行と活動をしたことはありません。
高野秀行は、僕が、精神障害者として、就労を目指していことは知っていたと思うので、僕の就労に結び付くような活動をしていただけたなら、僕にとっても良かったのだと思いますが、高野秀行の僕を福島県いわき市へのボランティアに連れて行った判断は、結果として僕が東日本大震災に深入りする原因になりました。
高野秀行は物書きとしては優れているかもしれませんが、僕の状況を把握して、正確な判断をする能力には欠けていたようです。
以前、高田馬場の餃子屋で早稲田大学探検部33期OBで同期の倉島孝行と会った時も、
「お前は高野さんにお世話になっているんだから、高野さんの本を紹介しろ!!」
と命令されました。
高野秀行と倉島孝行は懇意のようです。
僕と高野秀行とは懇意ではないので、高野秀行の著作をわざわざ、自分のTwitterで紹介するつもりはありません。
もし、高野秀行が自分の東日本大震災時における判断した行動に従って、東日本大震災、原発関連の著作を書かれれば、僕のサブブログ、「東日本大震災関連書籍の紹介サイト」に入力して、紹介することは出来るかと思いますが、ボランティアに行って以来、5年以上が経っていますが、高野秀行は東日本大震災関連の著作を書いていません。
高野秀行の行動とその後の判断ミスが重なり、僕はきちんとした会社に就労も出来ずに、現在ではアルバイトの状態です。
後輩一人をきちんとした道に導くことの出来ない高野秀行がどれだけ能力があったところで、僕にとっては支持できるような人間ではありません。
人間と人間の関わりというというのは本音のぶつかり合いです。
本音で、一人の人間と立ち向かう姿勢を見せれば、一人の人間は良い方向に進むし、適当にあしらっていれば、一人の人間も適当にあしらわれていることが分かります。
僕は高野秀行と接していて、この人は、一人の人間ときちんと対峙したことがないと感じました。
倉島孝行にとっては、高野秀行は、自分の著作を評価してもらった人間なので、大先輩に見えるのかもしれませんが、僕にとっては、高野秀行は大先輩に感じません。
先輩、後輩の関係も、人間と人間の関わりです。
真摯な姿勢で人間に関わっていることを感じさせれば、一人の人間も変わっていくでしょうし、適当にあしらっていれば、一人の人間も変わっていきます。
高野秀行は一人の人間をきちんとした方向に導けるような人間ではなかったと今では思っています。
しかしながら、6年半以上、Twitterに来ていたから、良質なフォローワーさんもついて下さり、自分の名前を冠したブログも作れて、Twitterのウェブサイトに置くことが出来ました。
何かを作り出すためには何かを犠牲にしなければならないのかもしれません。
僕も6年半以上、Twitterに来ていて、ブログなども書いていたから、現在のTwitterの状態、ブログの状態があるのだと思います。
Twitterに6年半以上、時間をかけてしまい、大きな時間を、大きなお金を犠牲にしてしまい、後悔していますが、おかげさまで、自分の名前を冠したブログも作れたので、「良し」としようと思います。
以上、「40代の6年以上をTwitterに費やしてしまったが“Don’t give up”」
ブログに載せます。
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