文化的多様性と社会(=会社)的閉塞性
日本は多くの国から多様な文化を取り入れています。
欧米文化は勿論、アジア文化、アフリカ文化、南米文化。
日本に生まれた子供たちは子供の頃から多くの文化に触れて育ちます。
特に巨大都市東京では、文化的には多様な文化が至るところにあります。
料理屋ひとつとっても、日本料理屋、フランス料理屋、イタリア料理屋、中華料理屋、インド料理屋、ネパール料理屋、タイ料理屋、ミャンマー料理屋、エジプト料理屋、モロッコ料理屋、メキシコ料理屋、アルゼンチン料理屋、etc.
多くの文化に親しんで育ちます。
しかし、いざ、学校を卒業して、会社に入社してみると、社会人としての常識が強要され、学生時代まで親しんできた多様な文化はなかなか、認められません。
服装一つとっても、スーツの着用が奨励されます。
政治的にも宗教的にも、かなり、堅苦しい論理で、仕事が行われる職場が多いと思います。
僕はTwitterを始めてから、実に様々な価値観の人がいて、自分の意見、主張を持っていると分かりました。
Twitterを緊急時の伝達手段に使う人もいるでしょうし、政治的に利用する人もいるでしょう。また、会社のビジネスの宣伝のために利用する人も多くいると思います。
個人のレベルでは、アフィリエイトなどの小遣い稼ぎのために使う人もいると思います。
僕は、Twitterやネットのことはかなり詳しくなったので、実に様々な価値観の人がいて自分から自分の好きなことしている人が多くいることが分かりました。
生活する上では、安月給のアルバイトや派遣労働者か、もっとひどい収入かもしれませんが、かなり面白いことをやっている人が多くいると思いました。
僕はちょうど、派遣労働者が社会的問題になっていた時に、かなりきつい職場で働いていました。
僕が働いていた職場にも、派遣労働者の方が多く働いていました。
仕事上のスキルは、会社に所属している、社員やアルバイトの方とほとんど遜色ないのに、派遣ということで、いいようにこき使われる人が沢山いることが分かりました。
僕はその光景を目の当たりにして、大きな矛盾を感じました。
派遣の方たちは、服装や、趣味など、実に多彩で、文化的には、非常にレベルが高かったですが、会社という組織の中では、経済効率優先の論理、縦社会の論理で、派遣社員として、こき使われる人(使い捨てにされる人)も多くいました。
当時、大きな話題になった事件に秋葉原の通り魔事件がありました。派遣で働いていた労働者が、犯罪に走ったのです。
満たされない、若者が犯罪に走る背景には大きな社会的病理が潜んでいることが良くあります。
その社会的病理の一つとして、「文化的多様性」と「社会的閉塞性」=(会社的閉塞性)が存在しているような気がしています。
この「社会的病理」をいくらか、和らげてくれるものの一つとして、Twitterは貢献していると僕は思っています。
くだらない内容ですがブログに載せます。
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