2025年9月30日火曜日

「9月は1日平均7160歩歩いていたようだ」

 「9月は1日平均7160歩歩いていたようだ」

スマホの万歩計を確認していたら、僕は、9月は214806歩、1日平均、7160歩歩いていたようです。

 一昨年、文京シビックセンターで行われた文京区の特定保健指導では112千歩歩くことが目標になっていますが、18千歩程度で十分だと自分では思っています。

9月は8月に比べると歩いた歩数は減っています。

父と母の訪問リハビリ、訪問看護に立ち会い、僕自身も精神科訪問看護を受けているので家に居なければならない日も多くて外出する機会も大幅に減り、8月に比べると歩いた歩数が減ったのだと思います。

 一昨年の健康診断では体重が74キロもあり、メタボリックシンドロームだと診断されて、文京区の特定保健指導を受けましたが、74キロもあった体重が、昨年の文京区の健康診断では、体重を測ったら、65キロになっていました。

 何度も同じことをブログに書いていますが、もう112千歩歩かなくても、十分に体重は落ちたので、これからは無理のない散歩くらいにしておこうと思っています。一日8千歩程度の散歩で十分だと思っています。

 明日から10月で暑さもおさまっていって涼しくなり、散歩をするには良い気候になると思います。少しずつ外出する機会を増やして、徐々に歩く歩数を増やしていこうと思っています。

無理に多くの歩数を稼ごうと散歩をするつもりはありません。18千歩程度の散歩で十分だと内科の先生も仰っていたし、気楽な気持ちで気分転換のつもりで散歩をしようと思っています。

スマホの万歩計を確認していたら、僕は、9月は214806歩、1日平均、7160歩歩いていたようなのでブログを書いておきます。

 以上、「9月は1日平均7160歩歩いていたようだ」

 ブログに載せます。

2025年9月28日日曜日

「ブログのページビュー数が97万ページビューを超えていた」

 「ブログのページビュー数が97万ページビューを超えていた」

 今日、ブログのページビュー数を見ていたら、97万ページビューを越えていました。

  ブログのページビュー数はチェックしています

  キリの良い数字になったので、ブログに書いておこうと思います。

  96万ページビューを超えていたのが、923日なので、5日で1万ページビューくらいあったようです。この5日間くらいでものすごいペースで僕のブログが読まれているようです。最近になって、僕の本当に拙いブログがハイペースで読まれているようです。

 このくらいのペースで僕のブログが読まれると、僕が目標の一つにしている、ブログの累計ページビュー100万ページビューまで到達するのも間近かもしれないと思っています。

毎回、同じことを書きますが、僕の拙いブログを読んで下さっている方々には心から感謝いたします。本当にありがとうございます。

  今までに書いたブログ数が3360ブログなので、1ブログ、289ページビューくらいあったようです。

 僕は報酬を貰わずに、無給で3000以上のブログを書いているプロではなくド素人のアマチュアの本当に拙いブロガーなので、ぺージビュー数も少ないブロガーですが、ページビュー数は気になっています。

   今日、ブログのページビュー数を見ていたら97万ページビューを越えていたので、ブログを書いておきます。

 毎回、毎回、同じことを書いてしまいますが、僕のブログの読者の方々には心より感謝いたします。これからも懲りずに僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

 以上、「ブログのページビュー数が97万ページビューを超えていた」

ブログに載せます。

2025年9月23日火曜日

「ブログのページビュー数が96万ページビューを超えていた」

 「ブログのページビュー数が96万ページビューを超えていた」

 今日、ブログのページビュー数を見ていたら、96万ページビューを越えていました。

  ブログのページビュー数はチェックしています

  キリの良い数字になったので、ブログに書いておこうと思います。

  95万ページビューを超えていたのが、920日なので、4日で1万ページビューくらいあったようです。この4日間くらいでものすごいペースで僕のブログが読まれているようです。最近になって、僕の本当に拙いブログがハイペースで読まれているようです。

毎回、同じことを書きますが、僕の拙いブログを読んで下さっている方々には心から感謝いたします。本当にありがとうございます。

  今までに書いたブログ数が3359ブログなので、1ブログ、286ページビューくらいあったようです。

 僕は報酬を貰わずに、無給で3000以上のブログを書いているプロではなくド素人のアマチュアの本当に拙いブロガーなので、ぺージビュー数も少ないブロガーですが、ページビュー数は気になっています。

   今日、ブログのページビュー数を見ていたら96万ページビューを越えていたので、ブログを書いておきます。

 毎回、毎回、同じことを書いてしまいますが、僕のブログの読者の方々には心より感謝いたします。これからも懲りずに僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

 以上、「ブログのページビュー数が96万ページビューを超えていた」

ブログに載せます。

2025年9月21日日曜日

「2019年にチベットカイラス隊で飲み会をした際のメールのやり取り」

 「2019年にチベットカイラス隊で飲み会をした際のメールのやり取り」

 僕は2019323日土曜日に高田馬場の居酒屋で早稲田大学探検部チベットカイラス隊のメンバー、上原和明、桜井誠人、倉島孝行、中谷敏夫とチベットで会った近大探検部OB吉竹俊之、中国語の専門家、田中智秀と飲み会をしました。

 飲み会の前と後のメールのやり取りをブログに載せたいと思います。

 以下のようなメールのやり取りをしました。

 先ず、近大探検部OBの吉竹俊之より僕宛に以下のようなメールが届きました。

 上ドン 今 高田馬場の老人ホームで働いている。4月から夜間の専門学校に通う予定。時間のある3月中に一度会おう。黒澤明 隠し砦の三悪人を見よう。メールください。待ってるよ。

 吉竹さま

上原です。メールを下さりありがとうございます。

高田馬場で働いているのですか?

僕も3月なら大丈夫だと思うので、高田馬場で会いましょう。

吉竹が希望するなら、桜井とか倉島とか中谷とかにも連絡してみます。

しばらくメールでやり取りをしてみましょう。

上原

件名 「近大探検部OB、吉竹から連絡がありました」

桜井さま、倉島さま、中谷さま

お世話になっております。上原です。

昨日、チベットで会った近大探検部OBの吉竹から連絡がありました。

高田馬場の老人ホームで働いているそうです。

4月から忙しくなるので、3月中に会おうとのことです。

桜井、倉島、中谷にも連絡しますかとメールをしてみたら、皆で集まれたら嬉しいとのことです。

皆様のご都合がよろしければ何か会でもしますか?

返信をお待ちしております。

上原

上ドンへ

連絡ありがとうございます。

近大探検部吉竹懐かしいですね。

高田馬場の老人ホームで働いているとは奇遇です。

3月中、土曜日曜であれば集合できます。

和朗はどうしますか、連絡しますか?

よろしくお願いいたします。

桜井

桜井さま

上原です。メールを確認しました。

土曜日か日曜日なら大丈夫とのこと確認しました。

和郎は吉竹のこと知っているのでしょうか?

吉竹とチベットで会った早稲田大学探検部チベット隊のメンバーで集まるのが良いと僕は思っています。

3月中の土曜日か日曜日に集まりましょう。

倉島、中谷のご都合を伺えれば良いと思っています。

上原

上ドン

久しぶり。最近、心身の状態はどう?

私は下記日程、いずれもオーケーです。

適当に日時、場所、指定してください。

ただし、9pm過ぎると眠くなるので、早めだと助かります。

和郎は京都に戻っているらしいよ。一時は栃木にいたようだけど。

それと、この間、田中君(中国語の専門家)から足立に引っ越したというはがきが来た。

また、老人ホームだと、関口君も同じ仕事だね。

ただ、いずれにしても、誰に声掛けするとかは、上ドン次第で。

とりいそぎ。

倉島

PS: 吉竹って、「ロッキー」だよね? 

倉島さま

上原です。メールを確認しました。

土日なら大丈夫とのこと確認しました。

吉竹とは通称、ロッキーのことです。

ロッキーを知っている人間で集まるのが良いと思っています。

田中君も連絡先を知っているので、誘ってみましょうか?

僕の心身の状況は、心の病気の方は良くなっていますが、逆流性食道炎の具合が悪いです。

お心配りありがとうございます。

あとは、中谷ですが、メールは読んでいるのかな?

上原

桜井さま、倉島さま

上原です。中谷から返事が来ませんが、お二人の希望に合わせて、

323日(土)、高田馬場 にんじん屋 

https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13010953/

夕方5~でいかがでしょうか?

4000円のコースがあるようです。

吉竹にもメールをしていますが、今日はまだ返事が来ていません。

ご検討ください。

上原

上どんへ

お店を探して頂きありがとうございます。

323日(土)17:00

高田馬場 にんじん へ行きます。

よろしくお願いします。

桜井

桜井さま、倉島さま、中谷さま

吉竹から3235時で大丈夫との連絡が来ました。今のところ、上原、桜井、吉竹の3人から大丈夫とのことです。倉島も多分、大丈夫だと思っています。その他、誘いたい方がいらしたら、お声掛けしてみて下さい。お店の予約をどなかしていただけないでしょうか?まだ、にんじん屋には予約の連絡はしていません。人数も分からないのでまだ予約していません。皆さま、お忙しいとは存じますが、どうぞよろしくお願いいたします。

上原

上原様 Cc. 田中様(ご無沙汰でいきなりすみません。下まで読んでいただけると幸いです)

分かった。予約はこっちでする。とりあえず上ドン希望の場所・日時で4千円飲み放題個室コースで聞いてみるが、

だめなら、馬場で同じような感じのところを探す。時期が時期なので、青龍あたりになるかもしれんが。

ロッキーと田中君のメールアドへも、このメールを転送してもらえますか。

あと、以後のやり取りでは、お二人のアドレスも入れていただけると助かります。

(もし田中君もオーケーならば)

吉竹(ロッキー)

倉島(身長1.9)デカ男です。20年ぐらい前になるかな、一度馬場の青龍で皆で飲んだような

それ以来かな。ご無沙汰。相変わらず、セクシーボイス?

この歳になっても、おかげ様で男には興味はないけど、渋い声だったよね。

楽しみにしてます。

ところで、上ドンが相変わらず電話は苦手そうなので、予約はこちらでやります。

以後、こちらの集合メールに直接ご返信ほか願えますと幸いです。

田中様

先日はお引っ越しのお知らせのはがき、どうもありがとうございました。

お知らせいただいたのに、返信もせず、どうもすみません。

ところで、上ドンのところに、学生時代、チベットで知り合いになった友人から

久しぶりに一献どうという話があり、下記のような感じで一杯やります。

田中君も、もしお時間があったら、ご一緒にどうですか。

中谷様

あいかわらず、超多忙かな。 その後、心臓の方は順調?

この時期の土曜なので、予約は明日してしまうと思うけど、

このまま、集合メール流し続けますので、時間がうまくできたら、頼みます。

倉島

倉島さま

朝早くから、メールをいただき、ありがとうございます。

𠮷竹にはメールを転送しておきました。

田中君にもメールを転送しようとしましたが、エラーが出て送れません。

とりあえず、このメールで𠮷竹君のアドレスを加えておきます。

にんじん屋が空いていたら、予約の方よろしくお願いします。

𠮷竹は、17:00だと都合が悪いそうで、18:00にしてくださいとのことです。

何か仕事を増やしてしまうようで申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

上原

上原様、皆様

6時からの件、了解。ただ、送別会の時期だから、取れないかもね。

そしたら、青龍あたりね。あるいは、新宿にするとかね。

田中君には、こっちからもメールしてみた。

自動返信もかえって来ないから、ついたかな?

それでは、予約、適当にやっておきます。

倉島

倉島さま

メールを確認しました。

田中君にはLINEで連絡をしてみたところ、参加したいとのことです。

場所が取るのは大変そうですが、よろしくお願いいたします。

上原

倉島さま

上原です。

今朝、Gmailを確認したら、昨日の倉島からの「予約完了」のメールが消えていました。

323日土曜日、1800~ 高田馬場にんじん屋で良いのでしょうか?

𠮷竹からは返事は来ているでしょうか?

確認のメールをしてみます。

上原

件名「23日はみんな参加のようです」

上原様、皆様

はい。ロッキーからも参加意向のメールもらっています。

ロッキー、田中君、隊長以下チベット隊計4名、合計6名です。

上原が下に書いている通りで、変更はありません。

ところで、いままた政治的には北京ともめているようだけど、

チベットも、激変しているのでしょうね。ラサとか。シガチェも。

まあ、いまの中国の状況も、1980年代末には全く予想もつかなかったけど。

というか、私が単にアホな学生だっただけかもしれないが。

それでは、当日。

倉島

件名「Re: 倉島: 23日予約完了」

田中様

返信ありがとうございます。

中谷のケースは同世代でもだいぶ特殊かもしれませんが、

(詳しくは氏に直接聞いてください)

身体に関してはまあいろいろ出てきますね。50になると。

ご自愛を。それではまた、当日。

倉島

皆様

お久しぶりです。

前回上どんから連絡もらった時はどうしても仕事の都合がつかなくて会えなかったのが残念です。

今回は調整していきますので、よろしく!

私も諸々あって当日は酒が飲めないのが残念なのですが、みんなに会えるのを楽しみにしています。

田中智秀

中谷さま

メールを確認しました。

お体の方は大丈夫ですか?

お体を労ってお過ごし下さい。

323日は僕も楽しみにしてます。

楽しい飲み会になると良いと思っています。

上原

倉島さま

上原です。このメールと、僕が送ったメールの返信を確認しました。

𠮷竹から返事が来ていること、323日、1800~高田馬場にんじん屋に集合とのこと確認しました。

田中君には僕のメールアドレスからはメールが送れなかったようです。

みんなで集まれて、楽しみにしています。

ラサとかシガチェとか懐かしいです。

チベットののんびりした雰囲気が懐かしいです。

では当日。

上原

件名「おーい ありがとさん」

皆様

本日は探検パワーを頂き感謝致します。

また第2弾やりましょう。カラオケも行きましょう。

私のFacebookにのせますが、お許し下さい。

今と昔 写真対比したいので、桜井さくちゃん チベット隊の集合写真ちょうだい。

メールで送っておくれ、これは作品ですよ。皆と出会えた、これは私の人生において一つの道標ですよ。

だからさくちゃん 昔のチベット隊の集合写真をお送り下さい

吉竹

皆様

今日は楽しい時間を過ごさせていたがきありがとうございました。

ロッキーではありませんが、今日の集合写真をFacebookTwitterに載せさていただきました。

そのうち、また集まりましょう。

上原

皆様

本日はありがとうございました。久々のメンバーで楽しかったです。とりあえず写真を送ります。

桜井

皆様

上どん今日は声をかけてくれてくれてありがとう。

倉ちゃん幹事お疲れさまでした。

なんか久しぶりの気がしなかったのですが、考えてみたら30年近く会っていなかったんですねぇ。

皆さん昔と変わらず、楽しい時間が過ごせました。

今後も集まる際には声をかけてください。

田中智秀

皆様

写真ありがとさんです!カッチョええなあ。やっぱり。押忍

吉竹

皆様、和郎さま

昨日は皆様、お疲れ様でした。

昨日飲み会にを来た方々の何人かから次回もやりましょうとの声が上がっています。

Facebookに飲み会の集合写真を載せたら、次回は松田和郎も誘ってくださいとのことです。

このメールで松田和郎も加えておきます。

適当な時期に次回の会も出来たら良いと思っています。

このメールの連絡網を頼りにやり取り出来れば良いと思っています。

それでは皆様お元気にお過ごし下さい。

上原

皆様

またやろうぜ。

やろうぜ。

中谷

以上のようなメールのやり取りを2019年に高田馬場の居酒屋で早稲田大学探検部チベットカイラス隊(上原、桜井、倉島、中谷)と近大探検部OB、吉竹、中国語の専門家、田中と飲み会をした際に行いました。

 以上、 「2019年にチベットカイラス隊で飲み会をした際のメールのやり取り」

 ブログに載せます。


2025年9月20日土曜日

「ブログのページビュー数が95万ページビューを超えていた」

 「ブログのページビュー数が95万ページビューを超えていた」

 今日、ブログのページビュー数を見ていたら、95万ページビューを越えていました。

  ブログのページビュー数はチェックしています

  キリの良い数字になったので、ブログに書いておこうと思います。

  94万ページビューを超えていたのが、911日なので、9日で1万ページビューくらいあったようです。この9日間くらいでものすごく僕のブログが読まれているようです。最近になって、僕の本当に拙いブログがハイペースで読まれているようです。

 91万ページビューを超えていたのが、8月19日なので、約1ヶ月で4万ページビューあったようです。

毎回、同じことを書きますが、僕の拙いブログを読んで下さっている方々には心から感謝いたします。本当にありがとうございます。

  今までに書いたブログ数が3357ブログなので、1ブログ、283ページビューくらいあったようです。

 僕は報酬を貰わずに、無給で3000以上のブログを書いているプロではなくド素人のアマチュアの本当に拙いブロガーなので、ぺージビュー数も少ないブロガーですが、ページビュー数は気になっています。

   今日、ブログのページビュー数を見ていたら95万ページビューを越えていたので、ブログを書いておきます。

 毎回、毎回、同じことを書いてしまいますが、僕のブログの読者の方々には心より感謝いたします。これからも懲りずに僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

 以上、「ブログのページビュー数が95万ページビューを超えていた」

 ブログに載せます。

2025年9月13日土曜日

「Grok小泉進次郎氏の原発に対する考えの概要」

 「Grok小泉進次郎氏の原発に対する考えの概要」

 今日、ニュースを見ていたら、石破首相退陣表明に伴う臨時の自民党総裁選に、小泉進次郎氏が出馬するというニュースがありました。

 僕は、自民党支持者ではありませんが、大きな政治の流れには関心があり、今日の小泉進次郎氏自民党総裁選出馬のニュースも大きな関心を持って見ました。

 そこで、Xの人工知能、Grokに、

 「小泉進次郎氏の原発に対する考えについて解説してください」と質問してみたところ、以下のような回答が返ってきました。

 回答は、「小泉進次郎氏の原発に対する考えの概要」という回答でした。

 小泉進次郎氏の原発に対する考えの概要

小泉進次郎氏は、自民党の衆議院議員(神奈川11区選出)で、元環境大臣(2019-2021年)および原子力防災担当大臣を務めた人物です。彼の原発政策へのスタンスは、父・小泉純一郎元首相の強い脱原発主張(引退後に「原発即ゼロ」を提唱)と異なり、脱原発を強く主張しつつも、近年は現実的なエネルギー政策の観点から柔軟な姿勢を示すようになっています。以下で、時系列を基にその変遷と具体的な発言・行動を解説します。主な情報源は、過去の政府文書、インタビュー、最近の自民党総裁選関連の報道に基づきます。

 1. 初期の姿勢:福島原発事故の影響と脱原発寄りの慎重論(2011年頃~2019年)

- 小泉氏は、2011年の東日本大震災・福島第一原発事故発生時、当時の野党議員として毎月現場を訪問するなど、復興支援をライフワークとしてきました。この経験から、原発のリスクを強く意識するようになりました。

 2019年の環境大臣就任会見では、父の脱原発論に言及しつつ、「一つの国で二度目の原発事故を起こしたら終わりだ」と強調。原発の推進を否定するわけではないが、国民の理解なしに進められないとし、再エネ(再生可能エネルギー)の議論を並行して進めるべきと述べました。

 2020年のインタビュー(朝日新聞)では、石炭火力の削減が進む中で原発推進派の心理を理解しつつ、「日本は福島の事故を教訓に、脱炭素社会を築く鍵として原発をどう位置づけるか大いに議論すべき」との考えを語っています。国際社会では原発が脱炭素電源として共有される認識があるものの、日本独自の文脈(国民感情)を重視する立場です。

この時期の彼の考えは、脱原発を「イデオロギー」ではなく「事実とデータに基づく政策」として位置づけ、原発依存の低減を政府方針に反映させる方向で動きました。例えば、環境省時代に推進した「グリーン成長戦略」では、原発の「最大限活用」表現を削除し、再エネを優先する文言を盛り込みました。

 2. 環境大臣時代:脱原発の推進と党内批判(2019-2021年)

- 環境大臣として、エネルギー基本計画の改定に深く関与。2021年の「骨太の方針」では、電力部門の脱炭素化で「再エネ最優先」と明記し、原発を「可能な限り依存度を低減」と位置づけました。これにより、原発の役割を弱めることに成功しましたが、自民党内から「現実を見ていない」との不満が噴出。菅義偉首相(当時)との関係を活かした調整が功を奏した一方で、温室効果ガス削減を訴えながら原発(CO2排出ゼロ電源)を否定する姿勢が批判されました。

- 福島第一原発の処理水放出問題(2023年)では、「これだけやれば十分ということはない」と慎重な姿勢を示し、国際的な監視や説明責任を強調。原発事故の後遺症として、風評被害の解消を優先する考えが見て取れます。

- 2022年のインタビュー(オルタナ誌)では、原発のコストを「不透明」と指摘し、再エネの調整電源としての火力発電を含め、全電源のコストを可視化すべきと主張。原発派の重鎮議員がコスト公開を求める動きを評価しつつ、脱炭素実現のためのバランスを求めました。

この時期、彼のスタンスは脱原発寄りで、再エネ比率の引き上げ(2030年目標で40%以上)を推進。党内少数派の河野太郎氏(当時)と並んで「脱原発派」と見なされていました。

 3. 最近の変遷:現実対応と原発容認への軌道修正(2023年~2025年現在)

- 2024年の自民党総裁選では、電力需要増加(デジタル化やAI普及による)やエネルギー安全保障の観点から、原発の建て替え(リプレース)や新増設を「選択肢を閉じることなく考えるべき」と発言。従来の再エネ重視から一転、原発再稼働の必要性を認め、「原子力に関する技術と人材を国内で維持することが不可欠」と強調しました。

- 20248月の日経新聞インタビューでは、エネルギー基本計画を巡り「電力不安を招かぬ対応が不可欠」と述べ、原発の活用を現実的に位置づけ。脱原発の過去発言から軌道修正した形ですが、依存度低減の現行方針を見直す主張は控えめです。

- 20249月の自民党議連アンケートでは、原発政策に関する回答を見送り(党通達を理由に)。一方、高市早苗氏(最大限活用・新増設積極)や石破茂氏(選択肢排除せず)と比べ、比較的慎重と評価されています。

- 2025年現在、農林水産大臣として福島復興関連の協議会に出席し、除去土壌の再生利用を推進。X(旧Twitter)投稿でも、福島の復興を「原点」と位置づけ、原発事故の教訓を活かした持続可能なエネルギー政策を強調しています。例えば、202412月の投稿では、環境部会で福島の土壌利用を議論し、県外利用の進展を訴えました。

 

この変遷は、ウクライナ危機によるエネルギー価格高騰や、脱炭素目標(2050年カーボンニュートラル)の現実的達成が背景にあります。2024年の総裁選報道では、9候補中、彼を含む河野氏が原発容認に転じ、党内の足並みを揃えていますが、依存度の温度差(彼は低減志向が残る)が見られます。

 全体の特徴と評価

一貫性  福島事故のトラウマから「二度目の事故は許されない」という安全重視の考えが基調。脱原発を強く主張した過去から、最近は再エネと原発の「バランス」を重視する柔軟さが見られますが、党内では依然「再エネ偏重」とのイメージが残っています。

- 影響力 :環境大臣時代に政策文書を修正した実績があり、国際的な気候変動交渉(COP)で再エネ推進をアピール。父の影響を受けつつ、自身の経験(福島訪問)を政策に反映させるスタイルです。

- 批判と課題 自民党内では「非現実的」との声があり、電力需給の安定やコスト問題で原発再稼働を求める意見と対立。2025年の総裁選出馬意向(報道)では、このスタンスが焦点化する可能性があります。一方、X上の議論では、太陽光発電推進(メガソーラー規制緩和)と結びつけて「小泉家利権」との陰謀論的な批判も散見されますが、根拠は薄いです。

小泉氏の考えは、脱炭素と安全保障の狭間で進化中です。将来的には、エネルギー基本計画の改定(2024年度中予定)でさらに明確になるでしょう。詳細は公式発言や政府文書を参照してください。

以上のような回答が返ってきました。

回答を読んでみると、小泉進次郎氏は自民党の中では脱原発寄り、再エネの推進派の方のようです。

小泉進次郎氏のお父さんの小泉純一郎氏が、脱原発を訴えていて、原発に関する本を書いているのも影響しているのだろうかと思っています。

 これから、自民党総裁選に関するニュースも増えると思います。

 自民党総裁選の争点の一つが原発の問題になるのだと僕は思っています。

 今日は、ニュースで小泉進次郎氏自民党総裁選に出馬というニュースがあったので、Xの人工知能Grokに「小泉進次郎氏の原発に対する考えについて解説してください」と質問してみたので、回答をブログに載せます。

以上、「Grok小泉進次郎氏の原発に対する考えの概要」

ブログに載せます。

2025年9月11日木曜日

「ブログのページビュー数が94万ページビューを超えていた」

 「ブログのページビュー数が94万ページビューを超えていた」

 今日、ブログのページビュー数を見ていたら、94万ページビューを越えていました。

  ブログのページビュー数はチェックしています

  キリの良い数字になったので、ブログに書いておこうと思います。

  93万ページビューを超えていたのが、94日なので、7日で1万ページビューくらいあったようです。この7日間くらいでものすごく僕のブログが読まれているようです。最近になって、僕の本当に拙いブログがハイペースで読まれているようです。

毎回、同じことを書きますが、僕の拙いブログを読んで下さっている方々には心から感謝いたします。本当にありがとうございます。

  今までに書いたブログ数が3355ブログなので、1ブログ、280ページビューくらいあったようです。

 僕は報酬を貰わずに、無給で3000以上のブログを書いているプロではなくド素人のアマチュアの本当に拙いブロガーなので、ぺージビュー数も少ないブロガーですが、ページビュー数は気になっています。

   今日、ブログのページビュー数を見ていたら94万ページビューを越えていたので、ブログを書いておきます。

 毎回、毎回、同じことを書いてしまいますが、僕のブログの読者の方々には心より感謝いたします。これからも懲りずに僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

 以上、「ブログのページビュー数が94万ページビューを超えていた」

 ブログに載せます。

2025年9月8日月曜日

「The taste of Brahma water」

 The taste of Brahma water

 先日、僕が早稲田大学4年生の時にインドブラマプトラ川川下り報告書「神の河 ブラマプトラの激流を下る」に書いた報告のような感想のような文章「ブラマの水の味」を自動翻訳してみました。

 以下のような英文になりました。英文にしてもなかなか面白い文章だと思うのでブログに載せたいと思います。

 英文タイトルは「The taste of Brahma water」というタイトルになりました。

 The taste of Brahma water

 That day was a day that had given me a bad feeling from the very morning. One of our members, Sekiguchi, suddenly announced in the morning that he couldn't go on the boat due to stomach pain. Sekiguchi and I were on one of the two rowboats as members of the Japanese team. As he was the general secretary of the Waseda University Frontier Boat Club, he knew more about river rafting than I did, even though he was a year older than me, and was therefore a reliable man who could make accurate decisions. However, he had been heading out into the grass several times that morning to hunt for pheasants, and he seemed to be acting strangely. In the end, it seemed his stomachache was getting worse, and he decided not to go on the boat.

 Thinking about it, I realized that the cause of Sekiguchi's stomachache was the fatty pork he ate yesterday during his stay in a town called Tuting. In this region known as Arunachal Pradesh, the locals look similar to Japanese people, and although I can't say for sure if this is the reason, their personalities also seem similar, and they are extremely hospitable when guests visit. However, perhaps the proverb "too much is as bad as too little" is true, and the extravagant hospitality can sometimes be a bit overwhelming. Perhaps because food is not particularly abundant in this region, which began with the Chang, hospitality in this region does not cause you to feel overwhelmed by overeating. What is most frustrating is when you are offered unfamiliar food and told it is a delicacy.

 That was the case with us. During our stay in Tuting, Sekiguchi and I visited a community (as the locals call it) with a Tibetan Buddhist (Lamaist) gompa. We were then invited to the home of a person we met there. We were delighted by their kindness and gratefully accepted their hospitality. We began with chang, followed by mandarin oranges, and then a drink called apong, similar to sake. As we slowly sipped our drinks in preparation for the evening (a dance with young village women was scheduled), we noticed an animal skin hanging on the wall next to a picture of the Dalai Lama. As Sekiguchi and I wondered what it was, the couple showed it to us and asked, "Would you like to eat this?" We wanted to try it, so we replied, "Yes, we'll eat it." They cut it up with a knife and offered it to us. It was pork fat, with the skin still attached. It smelled a little fishy, ​​but considering they'd offered it to us, we chewed it a little and swallowed it.

 That was careless of me. They must have found it delicious and ate it all up in no time, because they offered me another piece of fatty meat about twice the size of the previous one. I was hesitant to eat it because of the fishy smell, but Sekiguchi ate it with determination. I think it was probably this pork fat (which I think was quite raw) that caused Sekiguchi's stomachache.

 For these reasons, Sekiguchi did not board the boat, and a reserve member from the Indian side took his place. The sky was overcast that day, and I had a bit of diarrhea, so I had been feeling unwell since the morning. The rafting guide said to me, "Kazu (my nickname), you seem to be in a bad mood today," but I couldn't be bothered and replied casually, "Calmness is the Japanese spirit." The river was not particularly rapid, and we were moving along at a leisurely pace. Just after noon, we spotted some rapids, so we pulled the boat to the shore to check them out. From the shore, the rapids looked to be about grade 4.

 Without listening to the detailed explanation of the rafting guide about course selection, I thought we could go down at this rate. Chamoli, the leader of the expedition, wanted to take some photos, so I left him on the shore and set out on the boat.

 We all shouted a cheer to inspire us before we set off down the rapids, and as always, under the guidance of our guide, we started rowing down the slow-moving section in front of the rapids. When we went down this rapids, my boat went first (on this trip, we went down in two rows to ensure safety in case of capsizing).

 The waves were bigger than I expected from the entrance to the rapids. From this point on, I was so focused on paddling that I didn't think about anything else. The waves just kept getting bigger. I was positioned on the left front, and a wall of water appeared and disappeared in front of me. As we entered the rapids, the paddle became useless. The guide shouted, "Over front!" I moved to the front of the boat. I was being controlled by the waves and it was impossible to control the boat.

 Next, the guide shouted, "Overright!" I moved to the right edge of the boat. When about the fourth big wave approached, the guide shouted, "Drop" (to sink into the boat to avoid being thrown into the river). I moved from the right side to my position to the left front and dropped down. As the boat, leaning to the right, plunged headfirst into the wave, the boat tilted sharply to the left. Next thing I knew, I had been thrown out of the boat and was being swallowed up by the wave.

  Somehow, I realized that the boat hadn't capsized and was in front of me, so I shook myself and paddled, and grabbed onto the boat. Looking around, I saw that all seven of us had been thrown into the river. First, I rescued two of them from the trough, and told the remaining person to swim to the right bank and land, and we docked the boat on the left bank and waited for the next group.

 Three members of the later team were also thrown into the river. Two of them were Japanese team members Yashima and Nakatani. Yashima is a Himalayan mountaineer, but this was his first time participating in a river rafting trip. I was worried when Yashima was thrown into the river, but he didn't look particularly shocked and was swept away to our boat. I was impressed that people who have experienced hell in the mountains could remain unfazed by something so minor. Yashima was swept away, but the other member, Nakatani, was not.

 He's a fellow student in the same club as me, and has a lot of stamina. I thought Nakatani would be okay, but he wasn't floating away. He was stuck in a swirling current and couldn't get out. What's more, he seemed unable to move, as he had hit his injured heel on a rock when he was thrown into the river. The Indian team members climbed over the rocks to the spot in the swirling current where Nakatani was stuck and rescued him. Nakatani seemed to have drunk a lot of water, and for a while he didn't speak and looked unwell. However, as the Indian team members' wry smiles grew into louder laughter, Nakatani began to cheer up as he responded with a wry smile.

 Nakaya drank a fair amount of the water from the Brahmaputra, and I also drank a fair amount when I fell into the river. The water of this river, which originates at the foot of Mount Kailash in Tibet, may be sacred. However, to those without faith, it is just water. When I saw myself like that, I suddenly became frightened of the river rafting I was doing.

 この英文を読んでみると、最後の

The water of this river, which originates at the foot of Mount Kailash in Tibet, may be sacred. However, to those without faith, it is just water. When I saw myself like that, I suddenly became frightened of the river rafting I was doing.

という部分が問題になるとだと思いました。

 The taste of Brahma waterjust waterだと問題になるとだと思っています。

 without faith(信仰が無い)にとってはjust wateと書いています。

 sacred waterholly waterと書かないといけなかったようです。

 まだ、早稲田大学4年生で23歳の頃に書いた文章なので、僕もかなり左がかって(左翼傾向)いてThe taste of Brahma waterjust wateと書いてしまっています。

 僕は今では信心深い人間になっていて、お寺で手を合わせてお祈りをしています。

 自分の若い頃に書いた文章を読み直すと僕にも多くの問題があったと分かります。

 先日は、僕が早稲田大学4年生の時にインドブラマプトラ川川下り報告書に書いた報告のような感想のような文章「ブラマの水の味」を自動翻訳してみたのでブログに載せます。

 以上、「The taste of Brahma water

 ブログに載せます。

 

 

 

2025年9月4日木曜日

「ブログのページビュー数が93万ページビューを超えていた」

 「ブログのページビュー数が93万ページビューを超えていた」

 今日、ブログのページビュー数を見ていたら、93万ページビューを越えていました。

  ブログのページビュー数はチェックしています

  キリの良い数字になったので、ブログに書いておこうと思います。

  92万ページビューを超えていたのが、829日なので、6日で1万ページビューくらいあったようです。この6日間くらいでものすごく僕のブログが読まれているようです。このくらいのペースで僕の本当に拙いブログが読まれていたことは今までありませんでした。最近になって、僕の本当に拙いブログがハイペースで読まれているようです。

同じことを書きますが、僕の拙いブログを読んで下さっている方々には心から感謝いたします。本当にありがとうございます。

  今までに書いたブログ数が3353ブログなので、1ブログ、278ページビューくらいあったようです。

 僕は報酬を貰わずに、無給で3000以上のブログを書いているプロではなくド素人のアマチュアの本当に拙いブロガーなので、ぺージビュー数も少ないブロガーですが、ページビュー数は気になっています。

   今日、ブログのページビュー数を見ていたら93万ページビューを越えていたので、ブログを書いておきます。

 同じことを書いてしまいますが、僕のブログの読者の方々には心より感謝いたします。これからも懲りずに僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

 以上、「ブログのページビュー数が93万ページビューを超えていた」

 ブログに載せます。

2025年9月1日月曜日

「紫藤クリニック カウンセリング 4 高校時代」

 「紫藤クリニック カウンセリング 4 高校時代」

  昨年、自分の部屋の大掃除をしていたら、僕が統合失調症と診断されてから、僕が通院し始めた紫藤クリニックでのカウンセリングの際の書類が見つかりました。

  書類には紫藤クリニックでのカウンセリングの際に、女性の心理士の先生にカウンセリングの際の参考になるように僕が書いた書類がありました。

  僕の書いた書類を女性の心理士の先生に読んでいただき、カウンセリングを受けたようです。

  かなり、恥ずかしいことも書かれていますが、心の病気の診療に参考になると思うのでブログに載せたいと思います。

  紫藤クリニックでのカウンセリングの際書類、その4、書類のタイトルは「高校時代」というタイトルでした。

 以下のようなことが書かれていました。

 『高校時代』

 高校は有名な進学校でした、昔は東大に何人も入ったという高校でした。

 私たちの頃は特に勉強の出来る高校でもなかったですが、クラスでもまわりの子はある程度、みんな勉強が出来、制服もなく、学区内の優等生が進学してくるような高校で中学に比べると感じの良い学校でした。

 ただ、昔、精神病院だったというのが気味悪かったです。

 クラブは高校でもバスケットボール部でした。

 1年の責任者という役職に推薦で選ばれました。

 この頃までは、なぜか推薦で長のつく役になることが多かったです。

 高校ではこのバスケ部の責任者というのがかなり精神的負担になり始めました。

 練習に来ない部員への連絡や、先輩からの意志の伝達、又、コーチからの練習中の態度の問題などが私のところに集中し、かなり精神的負担になりました。

 朝は、毎朝一番に体育館に行って練習の準備をしなければならず、なぜ自分だけがこんなことをしなければならいのかと思い、悩みを相談できる人もおらず、高校1年の2月に夜中、胃が痛くてのたうちまわり、翌日、医者に行くと、バリウムを飲まされ、胃の検査を受けました。

 影があるとのことで、東京医科歯科病院に紹介状を書かれ、ここで胃カメラを飲み、胃潰瘍、十二指腸潰瘍と診断されました。

 コーチに相談しましたが、その程度のことで心配することはないと取り合ってもらえませんでした。

 病気の方は薬を処方され、これを飲むようになってから良くなりました。

 以後、ストレスを溜めると再発すると言われていたので、なるべくストレスを溜めないよう心がけました。

 勉強の方は、最初の頃はクラスでも上の方でしたが、病気をしてから集中力や意欲が低下し、家でもあまり勉強しなくなり、ジリ貧で成績が下がり始めました。

 家に帰っても、親にも相談できず、兄も既に働いていて、そんな学校のことで悩むなと言われる程度でした。

 高校2年になると毎日が鉛色の空のような感じになり、楽しいこともなく、高校生活が苦痛になり始めました。

 女の子の前でわざと猥談をして、ボーボワールの「第二の性」を読んでいる子から、あなたなんか「粗大ゴミよ」と言われたこともありました。

 又、授業中、ぼんやりしていることも多く、周りの人間から何を考えているのか分からないと気味悪がられ、『金閣寺』(三島由紀夫の小説)の坊さんみたいになるなよと言われたこともありました。

 又、弁当を食べているときに、ご飯の上に鮭がのっているだけの弁当を見られて笑われたこともありました。

 クラブでも中学2年からまったく背が伸びず、背の高い新入生も入部してきて、このままでは、試合に出ることはおろか、着るユニフォームも無い状態になりました。

 1年の責任者をやったものがキャプテンか部長になる伝統があってプレッシャーもあり、バスケ部にいることがつらく、高校2年の6月に退部したいと先生やコーチや仲間に伝えました。

 同期生は皆、心配し、私の家に来たり、教室に来て、泣いて説得してくれたりしたので、退部はとりあえず、中止しました。

 バスケ部は続けることになりましたが、以前のようにやる気もなく、練習中もぼんやりした感じで、代が完全に代わる高校2年の9月に正式に退部しました。

私が部をやめたことで、後に続いて、2人の部員が退部しました。

女子の先輩や同期生も泣いてくれたりして、当時も今でも悪いことをしたと思っています。

しかし、内心では負担が減り、精神的には楽になりました。

バスケ部をやめてからは学校の勉強はあまりせず、映画を見たり、読書をしたりと言った感じでした。

学校の成績はジリ貧状態でした。

高校3年になって受験を控え、私立文系の科目を取り、授業も楽になり、学校にもあまり行かなくなり、バイトを始め、図書館で受験勉強をしました。

学校の成績も良くないくせに早稲田を目指しました。

早稲田に行けば何か面白いことがあると思っていました。

なにか当時はよく分かりませんでしたが、吃音やバスケ部をやめたコンプレックスがあったのかもしれません。

現役では無理だと思い、現役の時は早稲田の政経学部だけを受け落ちました。

以上が、僕が紫藤クリニックでのカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた、僕が書いた、「高校時代」というタイトルの文書です。

この文書を読むと、高校時代に僕が所属していたバスケットボール部での1年生の責任者という役職が大きなストレスになり、僕が高校時代に胃潰瘍・十二指腸潰瘍になり高校生活の毎日が鉛色の空のようだったと本当に暗い、辛い高校生活を送っていたことが分かり、今から思い出しても、本当に辛かったなと思います。

特に恨みもありませんが、僕も普通の家の子供だったので、名門校の進学校の厳しい規律のある部活は向いていなかったのだと思います。

今から思うと、高校時代とは青春時代で楽しい時期かと思いますが、僕の通っていた高校は、都立の名門の進学校で、僕の所属していたバスケットボール部は、男女恋愛禁止という厳しい部活で、その部活の1年生の責任者になり、本当に多くの悩み、ストレスがあったのだと思います。

今、読み返してみても僕の高校時代の苦悩、苦しみが分かる文章で、自分で自分の書いた文章を読み返していても、胃が痛くなる文章だと思いました。

以上、「紫藤クリニック カウンセリング 4 高校時代」

 ブログに載せます。

 

「8月は11万3589字入力していたようだ」

 「8月は113589字入力していたようだ」

 ATOKマンスリーレポートを見ていたら、僕は、20258月は113589字パソコンで入力していたようです。

 ブログを書くこと、X(旧 Twitter)でポストすることで、パソコンのキーボードで入力しているので、入力した文字数が一月、11万字を超えていたのだと思います。

 一日平均3664字くらいです。

  入力時間は130時間、原稿用紙284枚分入力していたようです。

 1日平均、4.2時間、1日平均原稿用紙にすると9.1枚分、パソコンに向かってキーボードで入力していたようです。

 相当、長い時間、パソコンに向かい、キーボードをカチカチ打っているようです。

 11万字を超える文字を入力していたとは、ものすごく多い入力数だと思います。

 同じことを書きますが、新しいパソコン、レノボのThinkPad X9-15 Gen1 Aura Editionというものすごく性能の良いパソコンを購入したので、パソコンに向かう時間も大幅に増えて、入力文字数も大幅に増えているのだと思います。

 パソコンに向かって、キーボードで文字を入力していると、逆流性食道炎も良くならないと思っています。以前、お医者さんにパソコンに向かっている限り、逆流性食道炎は良くなりませんと言われたことがありました。

 何度も同じ事を書いていますが、パソコンに向かわない、なにか体を動かす時間を増やして気分転換をするのが良いのだと思っています。

 自分のX(旧 Twitter)とブログにかなりの時間をかけているので、仕方ないとも思っていますが、本当にパソコンに向かわない、なにか体を動かす時間を作って、運動をした方が良いと思っています。

毎月、毎月、なにか体を動かす時間を作って運動をした方が良いとブログに書いていますが、実行出来ていません。軽い散歩はしていますが、汗を流すような運動はしていません。本当に運動をした方が良いと思っています。

 今日、ATOKマンスリーレポートを見ていたら、2025年8月は、僕は113589字入力していたようなので、ブログを書いておきます。

  以上、「8月は113589字入力していたようだ」

  ブログに載せます。