「墓標は訴える」と「藤尾潔さん」との出会い
僕は早稲田大学卒業後、報道番組の制作に参加してましたが、番組制作中に勤務していた会社で取材していた人物の死に直面しました。
一人は、カンボジアでの民主化選挙ボランティア活動に参加していた中田厚仁さん、もう一人は、日本政府から派遣されていた文民警察官の高田晴行さんでした。
この二人の方は「武器」を携行しないで、内戦中のカンボジアで活動をする「文民」として日本から派遣されていました。
自分の身を守る、武器を持たない二人の方は、内戦中のカンボジアで凶弾に倒れました。
日本が初めて、国連主導の平和維持活動(Peace keeping Operation=PKO活動)に参加する際に日本国憲法9条の戦争放棄の条項とからみ、基本的に武器の携行は認められなかったのです。
武器を携行しない人間が内戦の地に行って、「文民」として活動することが如何に危険か僕は分かりました。
日本の平和憲法には基本的には賛成ですが、日本国憲法の文言通りに活動できない、危険地域も世界中には至る所にあります。
世界各地で、その国その国の法律があります。
日本国憲法を学んで、世界各地で活動する、NGOの方などは現場経験が長いので、現地での活動の仕方が分かっていると思いますが、国の方針で決まった活動に参加する自衛官、文民警察官の方などは、日本での教えがなかなか世界では通用しないと痛感すると思います。
カンボジアの地で殉職したこの二人の方は、僕の所属していたテレビ番組制作会社で取材していて、カンボジアでの「文民」としての活動を取材したり、インタビューなどもしていたので、二人の方の死は、番組で取材したVTRの編集に参加したものとしても、心が痛む事件でした。
僕は、このカンボジアで亡くなった二人の方をテレビという公共のメディアに流すことに協力した人間の一人として、心の中で計り知れない痛みを感じてました。
また、二人の方の活動を取材して、公共の電波に流していたのに、二人の方の死をきちんと法的に検証しようとしないテレビを含めたマスメディアにも疑問が湧きました。
僕は、徹夜徹夜のVTRの編集業務の過労もあり病気になり、入院しました。入院中には編集していたVTRの内容が頭から離れませんでした。莫大な量の映像(テレビメディアでは到底放映できないようなショッキングな映像も沢山ありました)の中からお茶の間で夕飯を食べながらテレビを観る方たちのためになるべく快い映像に編集する作業は本当にきついな思いました。徹夜徹夜の仕事から過労で病気になったことも重なって、思い悩んだ末にテレビ番組の制作会社を退職しました。
そんな時に紹介された人物が藤尾潔という人物です。
藤尾さんはソニーを退社して、ライターの道を志していた方です。
僕は心の中にある二人の方の死が脳裏から離れない状態で、苦しんでいました。
そんな精神状態の時に、藤尾さんから紹介された企画が、戦後の政治腐敗による汚職事件を隠ぺいするために亡くなっていった方々を、法的に検証して取り上げてみようという企画でした。
僕の心のなかにはカンボジアで亡くなった中田さん、高田さんの死が強烈に残っていたので、人の死を法的に検証しながら、真実を追求しようという作業は、中田さん、高田さんを公共のメディアで取り上げていた(その番組を作ることによって給料を得ていました)人間の一人として、一種のテレビ番組の制作関係者としての罪滅ぼしのような部分がありました。
藤尾さんとの戦後の汚職事件を隠蔽するために亡くなっていた方たちを法的に検証する共同作業は「墓標は訴える」という一冊の本になり、出版され、国会図書館にも所蔵されてます。
早稲田大学図書館にも散々お世話になったので、本を一冊寄贈しました。
先日、早稲田大学図書館に入館しましたが、きちんと刑法の棚にありました。
大学時代のゼミが刑法だったので、僕の中では自分にとって卒論のようなものなのかなと思ってます。
ただし、まだ、20代前半の時の共同作業だったので、ライターの方もきちんと遺族の方や事件関係者を取材してインタビューなどしておらず、データのみが充実している本でした。
若気の至りの本ですが、きちんとハードカバーの本になったことは、少しは認められたのかなと思ってます。
昔話ばかりですがブログに載せます。
楽天ブックスで探したら、この「墓標は訴える」という本は楽天ブックスにありました。
画像はありませんが、こちらから購入できます。
↓
0 件のコメント:
コメントを投稿