「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1999年編」
1999年1月
●年賀状が15通ぐらい来たが全て返事を出さず。
(元々、筆無精だったが必ず返事は出していた。)
●三たび、喉が腫れ、高熱が出て仕事を休む。抗生物質を飲んで治る。
痛み止めに、又、ロキソニン。
2月
●早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田という人間(紫藤クリニックの患者だった)より、電話があり、私がアルバイトしている本屋でバイトをさせてくれませんかとのこと。
ちょうど、もう1人のバイトの人間が辞める時期だったので、本屋の店長さんに頼んで、柳田をバイトさせてもらう。
病気のことは探検部の後輩から聞いていて、お父さんが亡くなり、又、ペルーで亡くなった探検部員の葬儀にも出席したとのことで、気の毒になり、又、お金が無いようだったので、私のアルバイトの回数を減らし、柳田、週5回、私、週2回にしてもらう。
「コンビニのバイトでもすればいいじゃないですか」
「ラーメン屋を継げばいいじゃないですか」(両親の営んでいたラーメン屋は既にやめていた)
などと言われ、せっかく、仕事を紹介してあげたのに、何を言っているのだろうと思う。
以前、飲みに行ったときに柳田に
「上原さんが吃ることは探検部のタブーになっている」
と言われたことがあったので、そのことを思い出し、嫌な気がし始める。
病気のせいなのかなと思い、我慢する。
3月
●眠れなくなり始める。以前は考え事をして眠れないことはあったが、何も考えられなくなり、ただ、眠れず、時間が過ぎていくようで、なんだこれはと思う。脳の構造でも狂ったのかと思う。
4月
●柳田は、金、土、日がバイトが出来ないとのことで、私がその分、週3回、をバイトに入る。私は月曜から金曜までパソコン通信のバイトの仕事があり、休みが無く、こっちの都合も考えてくれと柳田に言う。
収入が前年に比べて、2万円減る。
5月
●後輩に会っても脂汗が出てきて、足に水膨れが出来はじめる。 歩くと、焼けるように痛いので、医者に行く。
切開して、水虫と診断される。
医者に「子供でも出来たんですか?」と言われる。
しばらく続き、足全体に広がる。
6月
●何をしていても苦しく、部屋にザイルがあったので、首吊り自殺を考える。
●お金が無く、パソコンを売る。
●お金が無く、ビデオデッキを売る。
●お金が無く、電話の権利を売る。
以上、「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1999年編」
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