2023年2月1日水曜日

「紫藤クリニック カウンセリング 12 同伴喫茶でバイトを始める・風俗カメラマンの助手」

 「紫藤クリニック カウンセリング 12 同伴喫茶でバイトを始める・風俗カメラマンの助手

  昨年、自分の部屋の大掃除をしていたら、僕が統合失調症と診断されてから、僕が通院し始めた紫藤クリニックでのカウンセリングの際の書類が見つかりました。

  僕が31歳の頃に書いていた文書です。

  書類には紫藤クリニックでのカウンセリングの際に、女性の心理士の先生にカウンセリングの際の参考になるように僕が書いた書類がありました。

  僕の書いた書類を女性の心理士の先生に読んでいただき、カウンセリングを受けたようです。

  かなり、恥ずかしいことも書かれていますが、心の病気の診療に参考になると思うのでブログに載せていきたいと思います。

  紫藤クリ二ックでのカウンセリングの際書類、その12、書類のタイトルは「大学4年(22才~23才)(サークル・バイト編)1」というタイトルでした。

 以下のようなことが書かれていました。

 『同伴喫茶でバイトを始める』

 大学3年の秋合宿で探検部の活動は終了し、これから先に何とか5年で大学を卒業することが出来るようになろうと思っていました。

 又、それまで女性ときちんと交際したことがなく、まだ童貞でしたので、なんとかいい女性を見つけて性交出来るような関係にまでなれるようになろうと思っていました。

 まだ、学生気分で就職のことや将来のことはあまり真剣に考えていませんでした。

 同伴喫茶でバイトを始める

 大学3年の冬くらいから、上野の「城」という同伴喫茶でバイトをするようになりました。

 探検部の一つ上の先輩の戸部さんがそこでバイトをしていて、就職が決まり、卒業するとのことで、私がその後輩ということでバイトをすることになりました。

 同伴喫茶ということで何か怪しげな感じがし、最初は変な仕事だなと思いましたが、仕事が楽だったので結局、大学5年の11月まで探検部の後輩に譲るまで続け、主な収入源になりました。

 仕事は2人でやり、中でコーヒーを入れたり水割りを作ったりする仕事と、外で飲み物など運ぶウェイターをする仕事でした。

 社長に自己紹介した時に、こんな店を経営している人だから悪人かとも思いましたが、話を聞くと在日の韓国人の人で、若い頃はボクサーだったそうで、店番は私たちに完全に任せてくれて、自分はパチンコしていて勝つと今川焼きなどを買ってきてくれていい人でした。

 コーヒーの注文6杯分に1杯を伝票をごまかして、ネコババするのがバイトの常識になっていて、基本給は5千円でしたが、コーヒー1拝千円でしたので、大体、日給8千円~1万円といったところでした。

 犯罪行為でしたが、それほど精神的負担になりませんでした。

 よく一緒に仕事をしていた人がプロのカメラマンの鈴木さんという人で、何か学べるかなとも思い、こちらから積極的に話しかけ、最初は話をするのが面倒くさそうでしたが、だんだん気に入られ、芸術の話や、写真の話などを熱心に話してくれました。

 私も良く本を読んでいたので、写真と文章は表現としてどう違うのですかなどと聞いていました。

 鈴木さんに言わせると写真とは現実を認識するものだそうです。

 当時、30才くらいでちょうど勝負時の時期で鈴木さんからも、若い頃撮った浮浪者の写真などを見せられ、どう思うかなどと聞かれていました。

 8✕10(エイトバイテン)という大型カメラでモノクロの人物のポートレートを撮っている人で、安アパートに住んで頑張っている人で、私が大学5年の時に東北沢のアパートに連れて行ってもらい、私のポートレートを撮ってもらいました。

 出来上がった写真を見ると、

「おまえ文豪みたいだな」

と言われ、作家になる気はありませんでしたが、そんなことは初めて言われたので嬉しく思いました。

又、仕事に関しては厳しく、どんな仕事でも気持ちを込めてやれと言われ、普段やらない階段の拭き掃除などをよくやらされていました。

同伴喫茶の店内は薄暗く、店の中には客の体臭と精液と愛液の混じったような臭いが立ち込め、又、ウェイターの仕事をするときは客が性交していところや、愛撫しているところを見たりするので、まだ、綺麗な若い女性なら良いのですが、年輩の客が多く、中にはおかまもいて気持ち悪かったでした。

又、店で出会った他人同士がスワッピングなどをしているので、見ず知らずの人同士で相手の性器を舐め合ったり、キスしたりよく出来るなと思いました。

又、70ぐらいの夫婦の客が来て、必死に性交している姿を見て、何か感動しました。

(うちの親もまだ、こんなことやってんのかとも思いました)

基本的に客はそれほど来ず、本を読んだり、話をしたり出来るので、精神衛生上は悪かったかも知れませんでしたが、良くも悪くも面白く、今まで経験した仕事の中では一番楽な仕事でした。

出勤前、「今日も仕事か、やだな」と思わない唯一の仕事でした。

 

●風俗カメラマンの助手

大学3年の頃、赤羽のテレクラでバイトしていて、そこの経営に参画していた風俗カメラマンの富田さんに、「ウー君」と呼ばれ、

「そんなに口の周りにニキビがあったんじゃ女の子がキスする気にならないじゃないか」

と言われ落ち込みました。

富田さんは鈴木さんと同じ写真学校の同期生だそうで、以前は同伴喫茶でもバイトしていたそうです。

大学4年になると、よく富田さんの取材の助手をして、変わった料理店の取材や、風俗店の取材にカメラマンの助手としてバイトしていました。

一度、鶯谷のニューハーフクラブの取材に同行し、パイプカット(ペニスを切断すること)した男性?たちに会い、顔つきも体つきもどうみても女性のようで、変な世界もあるものだなと思い、印象に残っています。

以上が、紫藤クリニックでのカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた書類です。

この文書では、探検部の活動が一段落してから、上野の同伴喫茶でアルバイトをしたことや、風俗カメラマンの助手をしたことが書かれています。

上野の同伴喫茶、城のアルバイトは、早稲田大学探検部32OBの戸部大に誘われ、アルバイトを始めたものです。

僕が探検部の後輩に今でも追及されるのもこの上野の同伴喫茶でアルバイトをしていたことが、後輩に追及されます。

探検部の後輩は悪いところ探しの後輩が多いので、この上野の同伴喫茶でアルバイトしていたことが追及されるのだと思います。

その他にも風俗カメラマンの助手をしたことも書かれています。

このように僕らの頃の早稲田大学探検部は、清廉潔白な探検部ではなく、いかがわしいこともしていたようです。

早稲田大学探検部で犯罪行為をするアルバイトが黙認され、先輩から後輩に受け継がれ、早稲田大学探検部の活動資金になっていたようです。

今から考えると、早稲田大学探検部の連中は、何か、社会を小馬鹿にして、自分たちは、他の人間とは違うんだと思い込み、社会のルールである法律さえ守らない行為さえ行っていたようです。

間違った選民意識が早稲田大学探検部にはあり、自分勝手な行いが横行していたようです。

早稲田大学探検部内でも、先輩、後輩の間違った行いを正そうとする人間はおらずに、金欠、金欠と言って、法律に反する行為をしていたようです。

こんな犯罪行為を行う、同伴喫茶で働いていたカメラマンが、早稲田大学探検部の活動である、コンゴ隊に参加し、探検部に影響を及ぼしていたと思うと、ゾッとします。

早稲田大学探検部でもいかがわしいことも行われていたので、悪いところ探しの探検部の後輩から今でもいろいろと追及されるのだと思います。

本当に僕らの頃の探検部は、間違った選民意識を持った部員が多くて、自分たちの行いを正当化していたので、今から思い返すと、本当に怖い探検部だったと思います。

以上、「紫藤クリニック カウンセリング 12 同伴喫茶でバイトを始める・風俗カメラマンの助手」

ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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