「紫藤クリニック カウンセリング 26 探検部の一つ下の女性、山田珠美」
昨年、自分の部屋の大掃除をしていたら、僕が統合失調症と診断されてから、僕が通院し始めた紫藤クリニックでのカウンセリングの際の書類が見つかりました。
僕が31歳の頃に書いていた文書です。
書類には紫藤クリニックでのカウンセリングの際に、女性の心理士の先生にカウンセリングの際の参考になるように僕が書いた書類がありました。
僕の書いた書類を女性の心理士の先生に読んでいただき、カウンセリングを受けたようです。
かなり、恥ずかしいことも書かれていますが、心の病気の診療に参考になると思うのでブログに載せていきたいと思います。
紫藤クリ二ックでのカウンセリングの際の書類、その25、書類のタイトルは「大学5年(23才~24才)」というタイトルでした。
以下のようなことが書かれていました。
『探検部の一つ下の女性、山田珠美』
大学5年になると探検部の一つ下の山田珠美という女性が私のアパートに電話をかけてきてきたり遊びに来たりするようになりました。
正確な日時は覚えていませんが、覚えていることだけ書きます。
各出来事に時間的なずれがあるのかも知れません。
又、彼女に対する当時の感情は複雑で文章が曖昧になることが多くなると思いますので、箇条書きにしますのでよろしくお願いいます。
●山田珠美は探検部の頃、ダンスのサークルと掛け持ちしていて、私が大学3年の秋合宿のときに探検部をやめようかと悩んでいたので、私から彼女に私のパーティーに参加しないかと声を掛けました。
私も彼女の書いた文章を読んだことがあり、彼女に興味がありました。
彼女は、
「よろしくお願いします」
と私のパーティーに加わることになりました。
合宿の時は、彼女は体力が無く、どんどん後ろにおいていかれるので、私がリーダーでしたので、彼女の後ろにつき、彼女が1人はぐれないようにしていました。
なんとか迷わないようにして、ピークに到達すると、彼女は歌を歌い出し、心配してやってんのになんだと思い、
「うるさい」
と言うと、
「どうして」
と言い返してきて、気が強いんだなと思い、仕方なく無言で我慢していました。
●まだ、私が実家に住んでいる頃、合宿で彼女が名古屋出身で高円寺に1人暮らししていると聞いていたので、実家の中華料理屋で作った餃子をあげたりしていました。
●大学4年の時、早稲田通りで偶然、出会い、ダンスの練習で足を痛めたらしく、足を引きずりながら、元気なさそうに歩いているのを見ました。私と会っても挨拶をしないので、こちらから声をかけ、
「皆、1人でいるときは嫌なことを考えているんだから、楽しい話でもしたら」
と言ったこともありました。
●その後も、私のバイトしていた早稲田の喫茶店でバイトをしたいとやって来ていて、新宿スポーツセンターのプールの帰りに、喫茶店に寄ると、彼女がバイトしていてびっくりしたり、喫茶店を出て帰るときに、
「サヨウナラ」
と言われて、何か後ろ髪を引かれるような思いになったりしていました。
●山田珠美の住んでいた高円寺のアパートの隣の部屋が空いたから、「上原さん住みませんか?」などと言われたこともありました。
●北村さん(私の一つ上の男、年は私と一緒)という彼氏がいたことは聞いていて知っていて、それまで異性と言うより、探検部の後輩の女子として彼女のことを見ていたので、何か彼女の世界(異性の世界?)に引き込まれるような感じがして、以後、避けるようになっていました。
●アパートに遊びに来るようになったのは、私のことを心配していたのか、友達になりたかったのか、良く分かりませんでしたが、一緒にお酒を飲みに行ったり、公園で夜中に弁当を食べたりしましたが。
夜中に電話をしてきたり、遊びに来たりするので、困ることもありました。既にその頃から彼女は北村さんのところ(北村さんは西早稲田に住んでいた)に猫のようにすみついていて同棲していたのですが。
●うまくいっていないようで、私に相談したり、小学校の頃までお父さんとお風呂に良く入っていた話など子供の頃の話を良くしていました。
●当時は私も昔の嫌なことを思い出したりしていて、機嫌は良くなく、いい加減にしてくれとも思い、せっかく探検部の頃のいい思い出が壊されるような感じで、又、男女関係に巻き込まれるのも嫌でしたが、良く気のつく子という感じで、次第に恋愛感情もわいてきました。
●子供を産むのにベストのコンディションですと言われたこともあります。
●私が、「北村さんと結婚するのか?」と聞くと、「そんな所帯じみていません」と答えたこともありました。
●又、一度、彼女のダンスの公演を吉祥寺の井の頭公園でするというので誘われ、見に行きましたが、公園の森の中を走り回ったり、木に抱きついたりしていて、何がなんだか分からない内容で、私には理解できないことを考えているだなと思いました。
●同伴喫茶でバイトしているときに、探検部の2つ下の後輩の服部(彼も愛知県出身で、山田珠美とは仲が良かった)から
「上原さん、珠さん(後輩からの呼び名)のことが嫌いでしょう」
と言われたので、そんな噂でも立っているのかと勝手に思い、あまのじゃくのところもあり、私から電話をかけ、
「珠ちゃん(私は彼女のことをそう呼んでいた)のことは好きだから」と言うと
「30になったら結婚してください」
と言われ、どうせ冗談だろうと思い、
「キープか?」
と言い返しました。
彼氏と同棲しているのをに何を考えているだろうと思いました。
彼女も冗談で言っているのかも知れませんでしたが、この言葉を聞いてから、山田珠美のことが妙に気にかかるようになり、彼女に対して恋愛感情と憎しみの感情がわき、又、北村さんに対しての嫉妬の感情も湧き始めました。
●中野で一緒に飲もうとこちらから電話をかけ誘い、飲みに行きましたが、私も卒業間近で、さっさと彼女と縁を切りたかったので、飲みに行き、終電の時間まで飲み、別れるときは、手紙を渡しました。内容はあまり覚えていませんが、
「年を取ったらいい女性になってくださいね」
といったような内容だったと思います。
中野から早稲田まで東西線で帰るのですが、途中、寝てしまい、終点の東陽町まで行ってしまい、電車が無く、タクシーで戸山のアパートまで帰りました。
以上が、紫藤クリニックでのカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた書類です。
この文書では、早稲田大学探検部で僕の一つ下の代の早稲田大学探検部34期の女子、山田珠美のことについて書かれています。
僕が新宿トルコ料理屋の早稲田大学探検部の飲み会の際に、早稲田大学探検部33期で同期の桜井誠人に言われた、
「山田珠美賞」とは、桜井誠人が僕に山田珠美と結婚しろという意味と僕は捉えています。
この文書を読めば分かるように、早稲田大学探検部34期の山田珠美とは、僕は一緒に飲みに行ったりしたこともありますが、山田珠美は、早稲田大学探検部在籍中から北村さんという彼氏がいたことは探検部の皆も知っていました。
山田珠美が、彼氏がいたにも関わらずに、早稲田大学探検部の先輩になる僕にいろいろとちょかいを出してきたことがこの文書を読むと分かります。
僕は早稲田大学探検部の後輩として山田珠美のことを見ていますが、山田珠美は、男女交際の対象として早稲田大学探検部の男子を見ていることが分かります。
僕は早稲田大学探検部内で、部員の男女が付き合ったりして、結婚したりすることが悪いこととは思いませんが、この文書を読んでみると、山田珠美とは僕にとって、負担になるような女性だったようです。
山田珠美とは内助の功をしてくれるような女性ではなく、僕にとって負担になるような女性だったようです。
僕にとって大きな精神的負担になっていたのが山田珠美のようです。
この文書を読んでみると到底、早稲田大学探検部34期OGの山田珠美とは僕は結婚など出来ないことが分かります。
この文書で僕が統合失調症と診断されてから通院し始めた紫藤クリニックでの女性心理士とのカウンセリングの際に女性心理士の先生に読んでいただいた書類は終わりです。
次は、大学4年以降から精神科クリニック、紫藤クリニックに来院するまでの出来事をまとめている書類をブログに載せていきます。
以上、「紫藤クリニック カウンセリング 26 探検部の一つ下の女性、山田珠美」
ブログに載せます。
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