「紫藤クリニック カウンセリング 18 私が入部を勧めた人間の遭難死」
昨年、自分の部屋の大掃除をしていたら、僕が統合失調症と診断されてから、僕が通院し始めた紫藤クリニックでのカウンセリングの際の書類が見つかりました。
僕が31歳の頃に書いていた文書です。
書類には紫藤クリニックでのカウンセリングの際に、女性の心理士の先生にカウンセリングの際の参考になるように僕が書いた書類がありました。
僕の書いた書類を女性の心理士の先生に読んでいただき、カウンセリングを受けたようです。
かなり、恥ずかしいことも書かれていますが、心の病気の診療に参考になると思うのでブログに載せていきたいと思います。
紫藤クリ二ックでのカウンセリングの際書類、その16、書類のタイトルは「大学4年(22才~23才)」というタイトルでした。
以下のようなことが書かれていました。
『私が入部を勧めた人間の遭難死』
8月中旬になると、同期の元副幹事長、清水博之から連絡があり、私が探検部の再入部を説得した、平が7月に青森県の白神山地の赤石川という沢の途中の5メートルくらいの滝で滑落し、頭から落ちたらしく、頸椎(けいつい)骨折で死亡したらしいとのことでした。
血液型や身長、体重は一致しており、すでに荼毘に付しているとのことでした。
清水博之に平の住んでいたアパートに行って、指紋を採取してくれと依頼されました。
平の住んでいた吉祥寺のアパートに行くと、藤原新也の「メメントモリ(死を想え)」という本が机の上にあり、当時、私もその本を読んでいたので、同じようなことを考えていたんだなと思いました。
その本を持って、後輩と現場に急行し、現地の警察に本に付いた指紋を届けました。
指紋は照合され、本人と確認され、滝壺に落ちて土左衛門になった写真を見せられました。
生前と様子が完全に違い、水死するとこんな姿になるんだなと思い、気分が悪くなりました。
その後、先輩2人と私を含めた同期3人で白神山地の平が遭難した現場の沢まで行き、ザックや寝袋などの遺留品を捜索し、偶然見つかり、それをご遺族に届けました。
この時、マタギのおじさんからまいたけをもらって、炒めて食べて、うまかったのが印象に残っています。
又、8月の下旬には、同期の高橋と亡くなった平のご両親を白神山地の赤石川の見えるところまで、お連れしました。
お父さんがそこで、
「泰則(平の名前)」と叫んで、
曇り空でしたが、その時だけ日が差したことが印象に残っています。
私が何とか部を説得して再入部を許可してもらった人間が再び、一人で活動し遭難死したので、現役の後輩と揉め、事故の処理もしなければならず、その後も部では動揺したのか部員の事故も相次ぎ、それ以来、私は探検部がイヤになり、逃げるように探検部の部室には行かなくなりました。
私が入部を勧めなければ、このような死亡事故は起きず、部は揉めなかったと思うので、探検部の後輩に対し非常に申し訳なく思いました。
9月には、平の出身が福岡だったので、福岡での葬儀に出席しました。
それまでは本心では
「参ったな。自分で行動して死んじゃったんだから、しょうがないじゃないか」
と思っていましたが、葬儀に出席してみると、彼の昔の友達もたくさんいて、私が再入部を勧めなければこんなことにならなかったと思い、本人に非常に申し訳なく思いました。
特にご両親には非常に申し訳なく思っています。
葬儀の直後に、ゼミ合宿があり、長野の蓼科まで行かなければならず、途中、岐阜で下車して、金津園という風俗街(探検部の友達が風俗好きで良く金津園の話を聞いていました)の一番安いソープランド(1万4千円、入浴料込み)を探して、そこで、性交初体験をしました。
初めての風俗で、店の名前は今でも覚えています。「思い出」という店でした。
それまでは、いい女性を見つけ(出来れば処女、自分も童貞だったので)性交できるような関係になれるようになろうと思い、ずっと我慢していた風俗でしたが、葬儀の厄を落とすようなつもりで、岐阜金津園の風俗、ソープランドに行きました。
相手をしてくれた女性は、色白の、背の高いスリムな20歳くらいの女性でピアノの先生をしているそうで、むしゃぶりつくように性交をしました。
性交自体は初めてで、とりあえず気持ち良かったです。
確かコンドーム無しだったと思います。
性交初体験が風俗になってしまいましたが、蓼科までの電車の中で人生こんなもんだと思い、直後に落ち込むようなことはありませんでした。
むしろ、平の葬儀の後、一体、自分は何をしているんだろうと思い気が滅入りました。
ゼミ合宿ではあまり元気が無く、疲れた疲れたと、皆に言っていました。
9月には平のお父さんにも同行してもらって、遺骨を分骨して、山梨県の大菩薩峠の見晴らしの良いところに埋め、私たちの同期で、皆で石を積んでケルンを建てました。
お父さんが、さかんに
「色即是空、空即是色」
と私たちに言っていて、非常に悲しそうだったので、外国の山の話などをし、
「ご飯だけは食べて下さい」
と言いました。
初デートした女性とは平の一件以来、こちらからも向こうからも全く連絡しなくなり、それ以後、彼女も喫茶店のバイトを辞め、全く会うことがありませんでした。
さっぱり別れられ、彼女のことはいい思い出になっています。
以上が、紫藤クリニックでのカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた書類です。
この文書を読んでみると、僕が長い間、心のトラウマになっている、僕が探検部への再入部を勧めた平泰則君の白神山地での遭難事故のことが書かれています。
僕が平君に再入部を勧めなければ、こんな事故は起きなかったと思い、今でも僕は心から反省しています。
僕の責任が追及されても仕方ない事故で、僕は本当に平君、平君の親御さんに悪いことをしてしまったと思っています。
僕が自分の探検部員としてのスキルも無いのに、平君に再入部を勧めてしまったことは本当に僕の責任で、僕が平君のご遺族から法的に訴えられても仕方ないような事故だったと思っています。
この事故で探検部の後輩たちにも、多大な迷惑をかけてしまって、本当に申し訳なく思っています。
探検部とは、命を落とす可能性もある活動もするので、安易に探検部は面白いから、入部してみたらとか軽々しく言えないサークルだと思っています。
僕ももう探検部の活動から離れて長いし、体力も学生時代に比べたら、がた落ちだし、もう、僕は登山も川下りもやらないと思います。
大きな事故が起きてからでは手遅れになってしまうので、僕は軽々しく探検部の活動に口出しできません。
僕の探検部に対する認識の甘さが露呈されている文書だと思います。
本当に本当に、探検部とは命に関わる活動もするので、厳しい認識で探検部に対して考えていかないと思っています。
以上、「紫藤クリニック カウンセリング 17 私が入部を勧めた人間の遭難死」
ブログに載せます。
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