2023年2月6日月曜日

「紫藤クリニック カウンセリング 17 結核上がりの先輩とアパートを借りる」

 「紫藤クリニック カウンセリング 17 結核上がりの先輩とアパートを借りる」

  昨年、自分の部屋の大掃除をしていたら、僕が統合失調症と診断されてから、僕が通院し始めた紫藤クリニックでのカウンセリングの際の書類が見つかりました。

  僕が31歳の頃に書いていた文書です。

  書類には紫藤クリニックでのカウンセリングの際に、女性の心理士の先生にカウンセリングの際の参考になるように僕が書いた書類がありました。

  僕の書いた書類を女性の心理士の先生に読んでいただき、カウンセリングを受けたようです。

  かなり、恥ずかしいことも書かれていますが、心の病気の診療に参考になると思うのでブログに載せていきたいと思います。

  紫藤クリ二ックでのカウンセリングの際書類、その16、書類のタイトルは「大学4年(22才~23才)」というタイトルでした。

 以下のようなことが書かれていました。 

 『結核上がりの先輩とアパートを借りる』

 探検部の一つ上の先輩の船越さんという人のアパートに居候していた友人の秋山さんという人が、私が大学3年の秋くらいから結核で中野の国立療養所に入院しており、そこにもよくお見舞いに行っていました。

 以前、一緒に麻雀をしたりしたことがあったので知り合いでした。

 早稲田を2年で中退し、その後、塾の先生をしたりしながら、生計を立てていたそうですが、不摂生がたたり結核になったらしいです。

 げっそりと痩せ、頬はこけ、何か影があるような人でしたが、私もちょうど探検部の活動が一段落したところで、これからどうしていくかと思い、誰かと話したくて、失礼だったかも知れませんが、病気と言うことで暇だろうと思っていました。

 よくコーヒーを飲みながら話をしていた食堂がある一階が薄暗く、いかにも古い病院っぽく、気味が悪かったですが、何かホッとするところでした。

 又、肝炎で入院して以来、病気に関心があったり身近になっていました。

 秋山さんが、私が大学4年の3月に退院し、

 「上原の自立を助けてやる」

 と言い出して、二人で新宿区の戸山に4畳半のアパートを借りることになり、大学4年の8月から二人で、アパートに住むことになりました。

 先輩でしたが、結核上がりということで、私も先輩の自立を助けてあげたかったのでした。

 当時は私も大学を4年で卒業することが出来ないと分かり、親からは特に何も言われていませんでしたが、両親、兄ともに働いており、家にいづらくなっていて、そろそろ、自分でこれからどうやって生きていくかでも考えようと、ちょうど良い機会だと思い、アパートに住むことにしました。

 一階で日の当たらない湿気の多い、冬でも蚊が出る、4畳半のアパートでしたが、私は家族から解放されたようで、又、探検部からも解放されたような感じで、ようやく本来の自分に戻れるようで、何か面白いことがありそうな気がしていました。

  先輩は、私といてもつまらなかったのか、本ばかり読んでいて、特に「噂の真相」という雑誌ばかり読んでいました。

  私にも、これは面白いから読めと勧められ、実際、読んでみると面白く、しばらく、毎月読んでいました。

  秋山さんは貧乏暮らしが嫌だったのか、その後、1ヶ月でアパートを出て、姉のところに帰ることになりましたが、以後も私はそこに、今年の3月まで10年近く住み続けることになりました。

  壁が薄く、隣の部屋の音はジュースの缶を開ける音まで聞こえるのですが、隣の人は気を使ってくれる人で、テレビもイヤホンをつけて見ていました。

  又、夜は電気をつけっぱなしにして寝ていたので、革マル派という過激派のセクトの人で、内ゲバを恐れていたのかと思っていました。

  私もかなり左翼的傾向があり、学生運動をしていた人には尊敬の念もあって、いまだに安アパートに住んでいて肉体労働をして生活していたので、ますます、尊敬の念がわき、中核派が内ゲバに来たら、守ってやろうと思っていました。

  今年、アパートを引っ越すときに、お世話になりましたと、初めてきちんと話をしましたが、話を聞いてみると、私と同じ早稲田の法学部で共産党の下部組織の民青というでセクトで学生運動をしていたそうです。

  又、早稲田中退後は司法浪人をしていたそうです。

  夜、電気をつけっぱなしにして寝ていたことを聞いてみると、嘘か本当か、若い奴らが、夜中にアパートの横の庭のようなところで、リンチでもするのではないかと思っていたそうです。

  今年で、45歳になるという方で、

  「俺みたいにはなるなよ」

  と言っていましたが、私より、一回り体格が良く、月曜から金曜まで、毎日、肉体労働の仕事をしているそうで、立派な人だと思いました。

  また、私の病気のことを言うと、

  「なるようになるから、あまり心配するな」

  と言ってくれたのが、印象に残っています。

  以上が、紫藤クリニックでのカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた書類です。

  この文書を読むと、僕が結核上がりの先輩、秋山さんとアパートを借りたことが書かれています。

  僕が10年近く住み続けることになったアパート、新宿区戸山のワカサ荘は、結核上がりの先輩の秋山さんと一緒に探して見つけた物件だったようです。

  日の当たらない、湿気の多い、一階の部屋で、薄暗いアパートでした。

  冬でも蚊が出ていたとも書かれています。

  さらには、日の当たらない、湿気の多い薄暗いアパートの隣に住んでいた人は、早稲田大学中退で、日本共産党の下部組織、民青で学生運動をしていた人で、当時もう40半ばだったにも関わらずに、月曜から金曜まで肉体労働をしていたようです。

  この文書を読むと、隣の人は、夜は、電気を消さずに電気をつけっぱなしにして寝ていたようです。

  僕が、隣の人とほとんど話をせずに、隣の人は革マル派の人で、中核派からの内ゲバを恐れて、夜中も電気をつけっぱなしにして、寝ていたのだろうと勝手に想像していたことが分かります。

  この文書を読むと、僕の中に僕の部屋の隣に住んでいた人に対して何らかの妄想があったことが分かります。

  ろくに話もせずに、勝手に、隣の人は革マル派の人だと思い込んでいたことが分かります。

  僕に妄想があったと分かる文書だと思いました。

  以上、「紫藤クリニック カウンセリング 17 結核上がりの先輩とアパートを借りる」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

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