「紫藤クリニック カウンセリング 7 ミクロネシア・ヤップ島・農業のアルバイト」
昨年、自分の部屋の大掃除をしていたら、僕が統合失調症と診断されてから、僕が通院し始めた紫藤クリニックでのカウンセリングの際の書類が見つかりました。
僕が30歳の頃に書いていた文書です。
書類には紫藤クリニックでのカウンセリングの際に、女性の心理士の先生にカウンセリングの際の参考になるように僕が書いた書類がありました。
僕の書いた書類を女性の心理士の先生に読んでいただき、カウンセリングを受けたようです。
かなり、恥ずかしいことも書かれていますが、心の病気の診療に参考になると思うのでブログに載せていきたいと思います。
紫藤クリ二ックでのカウンセリングの際書類、その7、書類のタイトルは「大学時代(19才~22才)(サークル・バイト編)」というタイトルでした。
以下のようなことが書かれていました。
サークルは何か面白いことをしたいと思っていましたし、又、子供の頃、「十五少年漂流記」という小説が大好きで、小学校の時の卒業時の夢が探検家になることだったので、小さな夢でも叶えようと探検部というサークルに入りました。部室に行ってみると外国に行った先輩が多くいて、話を聞いていてすごいところだなと思いました。
探検部の私たちの代は15人ぐらいで女子は一人いましたが、創価学会の会員らしく選挙の時に私の家まで来て勧誘されました。
この子は途中でサークルをやめ、結局、私たちの代は男子ばかりの暑苦しい代になりました。
山での合宿や、川下りの練習など初めての体験も多く、かなりきついサークルでした。
『初の海外体験、ミクロネシア・ヤップ島』
とにかく自分から何かやらなければ取り残されるようなサークルだったので、1年の夏休みに4月から7月まで夜に焼肉屋でバイトをしたお金でミクロネシアのヤップ島というところに1ヶ月の予定で行くことになりました。
一般教養で取っていた人類学の先生に紹介状を書いてもらい、島の酋長さんの家にお金を払って住み込ませてもらい、フィールドワークもどきを行いました。
しかし、言葉があまり通じず、きちんとした人類学的バックボーンも身に付けておらず、1ヶ月の滞在できちんとした報告書を書けるような活動は出来ませんでした。
海のきれいな島でしたが、太平洋上のアメリカ軍の軍事的要衝の一つであって、アメリカ人が支配階層で島の人たちはコップレックスがあるのかアメリカ人は嫌いだという人たちが多くいました
第二次大戦までは日本軍が占領した島ということで、日本人は嫌われているかなとも思い行きましたが、年輩の人は、「サクラサクラ」など覚えていて、外交辞令かもしれませんが、顔つきが似ていると言うことで、アメリカ人より日本人の方が好きだという人が多くいました。
本を読んで調べてみると、若者の自殺が多いということで、こんなのんびりした島でなぜかなとも思いました。
この時の単独行で学問的基礎の無さと一人で何かをやることに限界を感じ、以後、探検部の活動は一人で行うことはなくなりました。
『長野、野辺山で農業のアルバイト』
8月の下旬に帰国してからは、今度は長野の野辺山の農家でレタスやキャベツなどの高原野菜の収穫のアルバイトを始めることになりました。
農業には、高校の頃から興味があり、屋根裏部屋に寝かされ、暑くてあまり眠れずかなりきつかったですが、1ヶ月バイトをしました。
一時、高熱を出しましたが、風邪薬を3人分くらい飲まされて働き続けました。
以上が、紫藤クリニックでのカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた書類です。
僕が早稲田大学に進み、早稲田大学探検部に入部したことが書かれています。
「十五少年漂流記」が好きだったこと、小学校の頃の夢が探検家になることだったので、早稲田大学探検部に入部したことが書かれています。
探検部に入部した動機としてはまともな動機だと思いました。
早稲田大学探検部1年生の時にミクロネシアのヤップ島に行ったことも書かれています。
現地でフィールドワークのようなことをして、報告書のようなものを書きたかったことが分かります。
探検部1年生としては、真面目に探検しようとしていたことが分かりました。
真面目に探検部の活動に取り組もうとしていたことが分かる文書だと思いました。
以上、「紫藤クリニック カウンセリング 7 ミクロネシア・ヤップ島・農業のアルバイト」
ブログに載せます。
0 件のコメント:
コメントを投稿