「紫藤クリニック カウンセリング 2 小学校の頃」
昨年、自分の部屋の大掃除をしていたら、僕が統合失調症と診断されてから、僕が通院し始めた紫藤クリニックでのカウンセリングの際の書類が見つかりました。
僕が31歳の頃に書いていた文書です。
書類には紫藤クリニックで行われたカウンセリングの際に、女性の心理士の先生にカウンセリングの際の参考になるように僕が書いた書類がありました。
僕の書いた書類を女性の心理士の先生に読んでいただき、カウンセリングを受けたようです。
かなり、恥ずかしいことも書かれていますが、心の病気の診療に参考になると思うのでブログに載せていきたいと思います。
紫藤クリニックでのカウンセリングの際書類、その2,書類のタイトルは「小学校の頃」というタイトルでした。
以下のようなことが書かれていました。
『小学校の頃』
小学校の頃は低学年の時は普通の子供だったと思います。
両親共働きの小さな中華料理屋の鍵っ子でした。
子供の頃は、小学校の友達にマッチ箱みたいな家に住んでいるなと言われ、いやな気がしました。
学校では成績も普通で特に目立つ子供でもなかったと思います。
友達はよく勉強が出来る子が多かったと思います。
小学校2年の時に4畳半と6畳のアパートから一戸建ての家に引っ越しました。
小学4年生になり、初めての自慰をしました。
東京は性に関する情報がたくさんあり、友達などと異性の話をしたり、異性に興味を持ち始めたのもこの頃からだったと思います。
小学4年から6年生までは、前期、後期、どっちかで毎年学級委員でした。
いつもクラスでの推薦でした。
特別負担にもなりませんでした。
成績はクラスで10番以内といったところでした。
吃音のことや、親が通学範囲の小さな中華料理屋と言うことでからかわれたり、かるくいじめられたりこともありますが、小学校の頃は特に吃音のことでの悩みというのはなかった気がします。
自分からも友達に積極的に電話をかけていましたし、電話を受けることも苦になりませんでした。
また、吃音がいい意味での愛嬌みたいなところがあり、皆からも好かれていたと思います。
小学校の時、仲の良かった友達はほとんど私立の中学へ進学しました。
当時はあまり感じませんでしたが、今から考えるとみんなお金持ちの子供だったんだなと思います。
以上が、僕が紫藤クリニックでのカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた、僕が書いた、「小学校の頃」というタイトルの文書です。
僕が小学校の頃、吃音のことや親が小さな中華料理屋をやっていてからかわれたり、軽くいじめられたことも書いています。
小学4年生の頃に初めての自慰をしたことも書かれていて、こんなことを女性心理士の先生に読んでもらっていたのかと本当に恥ずかしくなりました。
小学校の頃の友達の多くが私立中学に進んでいて皆お金持ちの子供だっただろうと、この頃から、経済的格差のことを敏感に感じていることが分かりました。
今、読み直してみると、ネガティブなことが多く書かれていて、自己肯定感の無い文章だと思いました。
以上、「紫藤クリニック カウンセリング 2 小学校の頃」
ブログに載せます。
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