「紫藤クリニック カウンセリング 3 中学校の頃」
以下のようなことが書かれていました。
「中学校の頃」
中学に行くとやはりクラスでは中1から中3まで、前期、後期、どっちか推薦で、毎年、自治委員(クラス委員のこと)でした。
中学では、ぐれたり、いじめられたりする子も多く、小学校とは違い自治委員が負担になっていたかもしれません。
中学になってからはニキビも出始め、異性を意識するようになり、女性とうまく口を聞くこともできませんでした。
バレンタインデーにチョコレートをもらったこともありましたが、恥ずかしくて何も返事出来ませんでした。
又、吃音のことがいやで、笑ってごまかしていたりしていましたが、内心、かなり悩んでいたのかもしれません。
この頃から吃音がひどくなってきたような気がします。
学校の先生は吃音にも負けず立派な子だと言っていましたが、自分はそうならざるを得なかったんだと思います。
吃音や実家が小さな中華料理屋と言うことで強がっていたところもあり、中3の番長から生意気だと呼び出しを受けたこともありました。
クラブ活動はバスケットボール部でした。チームは弱いチームでしたが、楽しいクラブで、ここでも推薦で副キャプテンになりました。
走るのは得意でレギュラーでしたが、バスケットボール自体はあまり上手くなかったと思います。
学校が終わってから夜に皆でランニングをしたりして強いチームになりたかったでした。
中2の後期から生徒会長になりました。
これも推薦でした。
特別何をしたということもなかったでしたが、卒業式の送辞を読んだときにどもって、卒業式なのに、皆に笑われたことが印象に残っています。
又、字が下手で、送辞の文を筆で書くのが苦痛だった記憶があります。
生徒会長と言うのは、一種の権力で良くも悪くも模範生にならなければならず、今から思うと負担だったかもしれません。
中3になってクラブ活動を終わってから、成績がぐんぐん良くなり、学区内の一番いい都立高校に進学することになりました。
ちなみに受験の時は都立のみで、落ちたら定時制に行こうと思っていました。
親が働いているのを見ていて、大変そうだったのと、小学校の頃のイメージがまだ残っていて、私立に行くのは金持ちだと偏見があったのかもしれません。
担任の教師は私立も受けろと言っていましたが、都立しか受けませんでした。
都立の試験の成績は500点満点中、480点で私の中学で2番目の成績でした。
今から考えると、中学に不満があったのかもしれません。
生徒会長をやって教育というものにかなり疑問を持つようになりました。
中学校の頃は、ぐれる子の気持ちも分かり、また、いじめも止められず、私も無理して優等生をしていたようなところがあり、大人になったら、中学の先生にだけはなりたくないと思っていました。
中学はみな、同じ格好をし、刑務所のようなところだったと思います。
私はそこで先生に利用された模範囚だったような気もします。
卒業するときは区から健康優良児ということで表彰されました。
以上が、僕が紫藤クリニックでのカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた、僕が書いた、「中学校の頃」というタイトルの文書です。
今から読み返してみると、かなり自分の通っていた中学校に対して、斜に構えて見ていたような気がします。
確かに僕が通っていた中学校にはいじめられっ子もいたし、ぐれる子もいたし、番長もいました。
公立の中学校なので、様々な家庭環境の子供がいて、尚且つ思春期で、多くの悩みを抱えた子供たちがいたと思います。
僕も吃音のことで悩んでいるし、中学校の生徒会長になり、模範生として振る舞わなければならずに、中学校を刑務所に例えて、先生に利用された模範囚だったとも書いています。
僕の物の見方がかなりひねくれていたことが分かります。
勉強とスポーツの両立で、中学校時代から多くのストレスを抱えていたことが分かります。
今から読み返すと、こんなことを考えていたのかと驚くような内容の文書だと思いました。
以上、「紫藤クリニック カウンセリング 3 中学校の頃」
ブログに載せます。
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