「山上徹也はカイラス巡礼をしていれば銃殺などと言う愚かな行為はしなかったと思う」
7月8日に、安倍元首相が奈良県の大和西大寺駅の近くで、銃で撃たれて暗殺されるという日本中を震撼させる事件が起きました。
安倍元首相を暗殺したのは、山上徹也という人物で報道を見ていると、韓国発祥のキリスト教系の宗教団体、統一教会に恨みがあり、安倍元首相を銃殺したようです。
僕もテレビ、新聞、ネットで、安倍元首相暗殺事件に関する報道を見ていて、安倍元首相を銃殺した山上徹也に感情移入している記事なども多くあり、僕はネットも含めた報道に大きな違和感を覚えています。
動機は何であれ、他人を殺(あや)めるなどと言う行為を正当化しているようで、僕はネットも含めた報道に大きな違和感を覚えています。
僕はこのような異様で、物騒で、日本国民全員を恐怖感に陥れ、震え上がらせるような事件に直面して、事件を起こした山上徹也はカイラス巡礼をしていればこのような事件は起こさなかっただろうと思いました。
カイラス山の麓を歩く巡礼路は、標高5630メートルのドルマラ峠を最高点に本当に苦行をするような道で、生きるということは苦であることを教えてくれます。
もし事件を起こした山上徹也が生きるということが苦であることを悟っていれば、標的は誰であれ、他人を殺(あや)めるというような愚かな行為は犯さなかったと僕は思います。
人生が楽しい人間などいるのでしょうか?
世の中で生きている多くの人々は、日々多くの苦しみに直面しながらも、自らの心と体を鍛えて、苦しみや悲しみに満ち溢れた世の中で生きているのだと僕は思っています。
他人を恨む気持ち、憎む気持ち、嫉妬する気持ちのある人間も世には多くいると思います。
人間だからささいなことからいさかいが起きて、他人を恨み、憎み、時には殺してやりたいという気持ちになることもあると思います。
僕は他人を恨み、憎む気持ちもまた苦であると思っています。
生きるということは苦です。
苦しみを乗り越えるためには、自分自身で心を鍛えて、苦を乗り越える心になれるように日々精進しなければならないと思います。
僕は安倍元首相を銃殺した山上徹也は、チベットにある聖山カイラス巡礼をしていれば良かったと思っています。
もし山上徹也がカイラス巡礼をしていれば、安倍元首相銃殺などという愚かな行為は犯さなかったと僕は思っています。
世界でも稀な未踏峰で聖なる山とされるカイラスの巡礼路52キロを歩く経験をしていれば生きるということは苦であることを多少なりとも悟っていたと僕は思っています。
以上、「山上徹也はカイラス巡礼をしていれば銃殺などと言う愚かな行為はしなかったと思う」
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