2021年12月12日日曜日

「神田川生活時代、早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田からは上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよと言われていた」

 「神田川生活時代、早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田からは上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよと言われていた」

  僕は若い頃、新宿区戸山のワカサ荘という4畳半のアパートに住んでいました。

  僕はパソコン通信によるデータベースの検索の仕事と近所の書店での仕事をしていました。

  書店でバイトをしているときに、早稲田大学探検部の僕の3つ下の後輩、早稲田大学探検部36期OBの佐藤という人間(この佐藤という人間も、僕がバイトしていた早稲田大学体育館のバイトを譲った人間です)から、早稲田大学探検部の4つ下の後輩、早稲田大学探検部37期OBの柳田のことをなんとかしてくださいよと頼まれました。

  僕の4つ下の後輩、柳田とは当時から精神を病んでいて、精神科の病院に通っていたようでした。

 新宿区高田馬場の紫藤クリニックという精神科の病院に通っていたようでした。

  僕の4つ下の後輩、柳田は、僕のバイトしていた、書店で働くことになりました。

  書店では普通に仕事をしていたようです。

  僕は柳田と一緒に近所のラーメン屋に行って、一緒にラーメンを食べたことがありました。

  その際に、僕は柳田に、

 「上原さんがどもることは探検部ではタブーになっていますよ」

 とか、

  「実家のラーメン屋さんを継げば良いじゃないですか」

  と言われました。

  僕は柳田の口から出た言葉に傷つきました。

   僕は自分がどもることは気にしていたし、実際に、どもることによって、前に勤務していた日本電波ニュース社では現場に行かせてもらえずに、編集室に閉じこもっての編集の仕事をしていて、体力がどんどん落ちて、過労で入院して日本電波ニュース社を退社しました。

 僕のの父と母の営んでいたラーメン屋さんは、もうやめていました。

柳田の言葉があまりにもひどい言葉で、到底、早稲田大学探検部の先輩と後輩の間で交わされるような言葉ではなく早稲田大学探検部の後輩とは、本当にひどい後輩で、先輩に対して配慮する気持ちも無いと思いました。

僕は早稲田大学探検部の4つ下の後輩になる早稲田大学探検部37期OBの柳田とは早稲田大学探検部で一緒に活動したこともないし、全く面識の無い後輩でした。

僕の3つ下の後輩、早稲田大学探検部36期OBの佐藤は、早稲田大学探検部31期OBの高野さんが住んでいた早稲田鶴巻町の平岡荘に住んでいて、僕も平岡荘にはよく遊びに行っていたので、佐藤のことは知っていましたが、佐藤とも早稲田大学探検部時代に一緒に活動したことはありませんでした。

何故、早稲田大学探検部の3つ下の後輩になる佐藤が、僕に

僕と全く面識の無い早稲田大学探検部の僕の4つ下の後輩になる「柳田のことをなんとかしてくださいよ」と頼んできたのかも分かりませんが、僕が仕事を紹介してあげた後輩に、

「上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよ」とか

「実家のラーメン屋さんを継げば良いじゃないですか」とか言われなければならないのかと本当に不思議に思っています。

僕が早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田から

「上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよ」と言われていて僕がとても傷ついたことをブログに書いておきます。

以上、「神田川生活時代、早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田からは上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよと言われていた」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

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