2017年10月10日火曜日

「神田川生活時代の、アジト」

「神田川生活時代の、アジト」

 僕は早稲田大学卒業後、日本電波ニュース社という日本共産党系の会社で働いていました。

 会社で働くと、赤旗の購読を勧められました。

 社員の方々も党員だった方が多かったようです。

 僕が何故、共産党系の会社で働いたかというと、早稲田大学探検部時代の僕の同期だった人間が、世界放浪中に、日本電波ニュース社の方々と出会い、僕の同期の人間の紹介のような感じで、日本電波ニュース社で働きました。

 会社自体は共産党の雰囲気はそんなにありませんでした。

 会社の方々は、労働者の視点、弱者の視点での番組作りとかをされていて、政治活動をしている方々はあまりいないような気がしました。

 一度、会社の方々を僕が住んでいたアパートに泊めたことがありました。

 会社の方々は、僕のアパートを、

 「上原さんのアジト」とか言っていたのを覚えています。

僕もその言葉を聞いて、この人たちは、政治運動とかもしていた方々なのかもしれないと思いました。

ただ、僕は僕が住んでいたアパートを拠点にしての政治活動とかはしていなかったし、共産党的な政治主張もしていませんでした。

 僕には社会を変えるだけの力もなかったし、社会を変えるだけエネルギーもありませんでした。

 早稲田界隈の家賃の安いアパートに住んでいるからと言って、アパートを「アジト」にして何か政治活動を出来るかと言ったら、何も出来ません。

 今の時代でも秘密のアジトのようなところから政治活動をしている人はいるのかなとふと思いました。

 おんぼろアパートに住んでいても、政治活動をする拠点の「アジト」には出来ないし、普通に寝たり、テレビを見たり、食事をしたりしていました。

 仕事も、二つ仕事をしていて、朝の6時半ごろにはアパートを出ていたし、夜の仕事も夜10時ごろまで仕事をしていました。

 おんぼろアパートを「アジト」にして、政治活動などはしていなかったので、僕も、以前、勤めていた方々を泊めた時に言われたことには少し憤慨しました。

 僕の住んでいたおんぼろアパートに以前、勤務していた会社の方々を泊めた時に言われた言葉を急に思い出したのでブログを書いてみました。

 以上、「神田川生活時代の、アジト」

ブログに載せます。



 




 





 
 



                                                        

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