2016年12月28日水曜日

「アンサイクロペディア 文京区 僕の通っていた中学校は人気があるようだ 生徒会長」

「アンサイクロペディア 文京区 僕の通っていた中学校は人気があるようだ 生徒会長」

 先日、ネットを見ていたら、おもしろい、ウィキペディアのようなものがありました。
 
ウィキペディアのようなサイトの名前は、アンサイクロペディアです。

 この、アンサイクロペディアの文京区に関する記述がおもしろかったので、URLを貼っておきます。

 URLは以下です。


このサイトでは、東京都の区の一つである文京区を冷やかし半分に書いていて、読む人によっては怒り出すかも知れませんが、読む人によっては、吹き出してしまう方もいるかと思うような記述がなされています。

おもしろおかしく、文京区を表現しています。

「(文京)区内にはJRの駅が一つも無く、繁華街が無い」

という部分だけでも、文京区が東京都の中でも、田舎のような街だと分かります。

「文京」という名の由来についても、

「文京」なる地名はもともとこの地には存在せず、「本郷区」と「小石川区」が合体して誕生した時に、「文化と教育が盛んである」という意味の「文教」と、「みやこ」を意味する「東京」の「京」の部分を無理やりくっつけた、親父ギャグ真っ青の駄洒落から生まれたものである。

と述べていて、「文京」を冷やかしています。

そもそも「文京区」の名称を通過させた役人たちはさしずめウィキペディアンみたいなもので、学校のお勉強はできるが、いわゆる「ユーモア」に大いに欠けていたがためにこのような悲劇が生まれたという説もある。

と「文京」の名称の由来を茶化していています。

かねてより東京大学などを始めとする文教施設が多すぎる嫌いがあったこの地域だが、「文京区」の誕生によりお勉強はできるがその他の点でちょっと・・・・という人々が激増することになったらしい

と、文京区民は、お勉強は出来るがその他のことはちょっとという方が多いと述べられて、
文京区民のことをバカにしています。

文京区にある茗荷谷地区に関しては、

茗荷谷
受験戦争その他で頭脳に普段から負荷がかかりすぎている文京区民の脳が、暴発してバーンアウトを起こさないように設けられた癒しと憩いの楽園。この地には敷き詰められたように茗荷(ミョウガ)が植えられており、これがリタイア寸前のストレスフルな文京区民の脳を穏やかなものにしている。お釈迦様の偉大な弟子周利槃特(しゅうりはんとく)の故事で知られるようにここのミョウガは強烈なもので、口に入れただけで瞬間的に「忘却力」を最大限に拡張し、ありとあらゆる記憶が吹き飛び、イヤなことをほとんど無痛で忘れ去ることができるので、癒しには最適である。しかし効能が強すぎて「ここはどこ?私は誰?」という状況に追い込まれてしまうらしい。

と述べて、文京区における茗荷谷の効用について説明しています。

僕も長く、文京区に住んでいますが、住むのには良いのですが、真面目に政治の話とか社会問題の話とかを語り始める方も多くて、疲れてしまうことの多い区でもあります。

癒しの楽園が、茗荷谷地域のようですが、僕が良く利用している茗荷谷のカフェでは、パソコンとにらめっこして、勉強されている方も多くて、茗荷谷が癒しの楽園とは思えません。

先日、小石川図書館で、「東京23区 教育格差案内」という本を読みましたが、僕が通っていた茗台中学校は、現在では文京区の名門中学校、文京六中と双璧の人気のある中学校だそうです。

文京六中が受け入れ人数120名に対して希望校最終調査提出者212名、茗台中は受け入れ人数105名に対して195名の希望者がいると書かれていています。

現在では、文京区では中学校は選択制で、どの中学校に通うかは選べるようで、選択制にした際に、僕が通っていた茗台中学校は、受け入れ人員に対して希望者が約2倍の倍率の人気のある中学校になっているようです。

文京六中と言えば東京大学の前にある中学校で、僕らの頃から、文京区では一番の名門中学校でしたが、僕の通っていた茗台中学校がこんなに人気があるとは思いもしませんでした。

人気のある中学校に僕も通っていたようです。

僕は茗台中学校に通っていた頃に、生徒会長をしたことがあり、(推薦で立候補して、生徒の選挙で選ばれました)中学校をまとめる立場になったこともあります。

中学生の頃ですから、いじめも起きます。

僕は中学校の頃はバスケットボール部に所属していて、体育の成績は5で、50メートル走は6秒台、垂直跳びは70センチ台、1500メートル走も5分台くらいだったと思います。

中学生の頃ですから、運動が出来る人間がいじめを止めることも出来るし、上に立つことが良くあります。

僕も茗台中学校で体育の成績が良かったら、生徒会長になったのだと思います。

僕は茗台中学校の発行する雑誌に、生徒会長として文章を書いたことがありました。

タイトルは、「諸行無常の世の中のために」

というようなタイトルの文章だったと思います。

中学校の頃の国語の授業で、「平家物語」が出てきて、

「平家物語」の冒頭の、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。


という部分が中学生の僕にとても印象が残ったので、

「諸行無常の世の中のために」

という文章を書いたと思います。

中学生の頃から、無常観を感じていると、ポジティブな人間にならないかもしれませんが、平家物語の冒頭は、とても心に残る文章でした。

中学生の頃から、新聞とか本は読んでいたし、政治家の不祥事とかは、見聞していました。

総理大臣になっても、汚職をしたり、法に触れる行為を行っていたりして、世の中で成功している人間の多くが、成功してからの驕りの気持ちも出てきて、身を落としていくと思っていました。

お金持ちになったところで、自分の妻だけでは満足せずに、愛人を作ったりする人間もバブルの頃はいました。

社会的成功をおさめても、経済的な成功をおさめても、成功したという驕りの気持ちを持った途端に、多くの人間が身を落としていくのだと思っていました。

中学校の頃から、そのような気持ちがあったので、平家物語の冒頭を引用して文章を書いていたのだと思います。

ただ現在の茗台中学校の人気ぶりを見てみると、僕が通っていた頃の茗台中学校とはかなり違うようです。

文京区の一番の名門中学校、文京六中と双璧の人気にある中学校になっているようです。

多分、勉強も良く出来るのだと思います。

どんどんレベルが上がっていて、勉強も出来る人が多いのかなと思います。

文京六中と双璧の人気のある中学校ということは、かなりレベルも上がっているのだと思います。

僕らの頃から越境通学している人もいたし、人気のある中学校になったのかなと思います。

中学校の頃は、学校の授業を真面目に受けていれば、良い成績は取れたし、(ちなみに僕は中学校の頃は主要5教科はほとんど5でした)進学校の都立高校(都立高校の入学試験の成績も500点満点中480点で、数学と理科は100点でした)にも入学出来ました。

現在では、僕の通っていた茗台中学校は多分、僕らの頃以上に勉強も出来るのだと思います。

今、もし、僕が現在の茗台中学校に通っていたらとても生徒会長など務まらないと思います。

現在の、文京区の教育レベル、茗台中学校の人気を考えると、僕らの頃より断然、学力もアップしていると思うし、多分、難しい勉強も出来るのだと思います。

子供の学力が上がるのは良いことだと思いますが、大人たちが子供たちの考えている難しいことについていけないこともあるのかなと思います。

学校で学んだ、難しいことを生かせる仕事、職場があれば良いのだと思いますが、多くの職場では、ご自分の仕事で精一杯で、名門高校、名門大学出身の方々の考えている難しいことに対処出来ない職場も多いと思います。

多くの職場では日々の決まったルーティンワーク(決まった仕事)をこなしている職場が多いと思います。

日々のルーティンワークをきちんとこなしてくれる方が職場では重宝されるのだと思います。

学校で学んだ、難しいことを生かせる職場とはあるのかなと最近、思っています。

学校で、数学とか理科とか英語とか出来ても、職場ではあまり使わないし、大学まで行って法律を勉強しても職場ではあまり使わないし、一体学校に行くとは何のために学校に行くのかなと最近思っています。

僕が、2014年から長く詠み続けている句も、中学校の頃の国語の授業で学んだ松尾芭蕉の、

「奥の細道」に出てくる、

「五月雨を 集めて早し 最上川」

を真似て詠んでいる、

「震災本を 集めて早し 神田川」

です。

進学校の高校にも行きましたが、高校で学んだことは漢文の授業で、松尾芭蕉が傾倒していた、杜甫の漢詩だったりします。

文京区を冷やかし半分に書いているアンサイクロペディアというサイトから現在の文京区の学力と、僕が生徒会長をしていた頃のことも思い出して現在の勉強が出来る子どもたちと自分の仕事で精一杯の大人の関係についても考えてみました。

以上、「アンサイクロペディア 文京区 僕の通っていた中学校は人気があるようだ 生徒会長」

ブログに載せます。




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