「土曜の夜はこれを借りろ」⑬ (隠し砦の三悪人)
フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章
Twitterのフォローワーさんが1992人に到達したので、僕が1992年に書いていた文章を公開しています。
今回、紹介するコラムは、黒澤明監督の傑作、「隠し砦の三悪人」を題材にした映画コラムです。
以下です。
この映画で唯一印象に残るものと言えば雪姫役の上原美佐ぐらいなもんだ。後は、ただただいい加減なストーリーと、間の抜けたカットと。だから、これは雪姫とそれを取り巻く男達の物語として見るに限る。
とにかく、黒澤の映画にこんな女性はいなかった。今風でいうキュロットを穿いた彼女の腰から伸びるスラリとした足は男達の深層心理に訴えてくるし、突き出た胸は母性への回帰を促す。なおかつ、彼女の天真爛漫さは現代でも十分通用しちゃう魅力だ。彼女は「酔いどれ天使」のなかでセーラー服を着ていた久我美子の天使のような純粋さとも違うし、「わが青春に悔なし」で日本の大根脚を見せた原節子の女王のような威厳とも異なる。彼女はそれまでの黒澤の映画に出てくる父と子のモチーフの範疇におさまりきらない女性なのだ。
彼女は持って生まれたフェロモンを体全体、いやスクリーン全体から発して全ての男達を挑発している。いくら演出をしても彼女の持つ自然な色気を押さえることができない。黒澤組の俳優が周りを固めれば固めるだけ、彼女の存在が引き立ち、取り巻く俳優達の人間性が明瞭になる。ただただ超人になろうと、いつも肩肘張った三船敏郎の脂ぎった顔。気は弱いが芯は強い藤原釜足の貧相な肉体。二枚目役なのにいつも三枚目になってしまうお人好しの藤田進の間の抜けたセリフ回し・・・。
今の時代じゃモテない男のオンパレードだ。そして、最終的にお姫様としてお白洲に上がる上原美佐の不条理な姿によって、黒澤が逃れられない世界観まで暴露されるのだ。こういうことは他の黒澤の作品には見い出せない。いつも何かに呪縛されている俳優たち、はたまた黒澤自身までが、あたかもクラス会に久しぶりに出席した中年男がクラスの憧れの的だった女の子に再会したように愚直なほど伸び伸びしているのだ。
巨匠黒澤にとってもやはり女性は恐ろしかった。
以上が、「an」(デイリーアン=日刊アルバイトニュース)に掲載された僕の文章です。
何度も書きますが、当時の学生は、普通にアルバイトをしていました。
僕も良く、アルバイトをしていました。
アルバイトニュースには大変お世話になったので、アルバイトニュースに僕の文章が掲載されたことは嬉しかったです。
黒澤監督の映画というのは、実は僕らの世代にとっても、大きな壁でした。
テレビ育ちの僕らの世代にとってはブラウン管から映し出される、ドラマ(例えば、太陽にほえろ、など)が僕らの世代にとっては、影響力のあるドラマで、僕らの世代の心に残っている作品でした。
それが、大学に進み、劇場で映画を観る機会が出来ると、銀幕から映し出される、映画に出会います。
黒澤監督の映画には当時、圧倒されました。
脚本、演出、カメラワーク、音楽、出演している俳優さんの方々の存在感、テレビ世代の僕にとっては、黒澤監督の映画というのは、僕の価値観を崩すほどの強烈なインパクトを持っていました。
モノクロ作品でありながら、芸術性も高く、テレビ番組の稚拙さを痛いほど感じました。
実は、僕にとっては黒澤明監督というのは、映画監督の中でも、特別な存在で、映画コラムで取り上げたくなかった監督でした。
映画コラムの題材にするのを憚られるような作品ばかり撮っています。
コラム中では仕方なく、少し映画を小馬鹿にして書いています。
小馬鹿にして書かざるを得ないほど、物凄い映画ばかりだったので、小馬鹿にして書いていました。
この、「隠し砦の三悪人」という映画は、後にジョージ・ルーカスがアメリカで「スターウォーズ」の作品を作る際の参考にした映画です。
それほどの作品をデイリーアンで取り上げるは少し憚れましたが、敢えて取り上げました。
以上、「土曜の夜はこれを借りろ」⑬(隠し砦の三悪人)
フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章
くだらない内容ですが、ブログに載せます。
0 件のコメント:
コメントを投稿